プラハ (9) 「百塔の街」 プラハの眺めとカフカ
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チェコのプラハ
◆プラハ城観光のあと、丘陵の上からプラハの美しい町並みを眺めながら、カフカのことを想いながら、坂をぽれぽれと下りていった。
【プラハ】
ヨーロッパのほぼ中央に位置する国、チェコ共和国のプラハ。起伏の多い丘陵地に囲まれた盆地に広がる街の中央には、ヴルタヴァ川が流れている。大陸性の気候で、日本と同じように四季がある。
14世紀に神聖ローマ帝国の首都として『黄金のプラハ』と謳われるほどの繁栄を見せていた。
現在、866万㎡の町の中に3670の建造物があり、そのうち1540棟が歴史的、文化的に価値があるとされる。その数から見ても、ヨーロッパにおいて、プラハが政治や文化の面で重要な役割を果たしてきたことが窺える。
プラハは中央ヨーロッパにおけるキリスト教発展の拠点であったことから、宗教関連の建築や芸術が多く残り、これらは芸術家達に刺激を与え続けてきた。更に、中欧最古の大学であるカレル大学が設立された14世紀以降16世紀にかけてのプラハは、学問やヨーロッパ文化の中心であり、錬金術や占い術などの発展にも大きく貢献した。
プラハには9世紀にスラブ系チェコ人が定住しまが、その後大モラビア帝国、ボヘミア王国、神聖ローマ帝国、ハプスブルグ家の統治などを経て、1918年にプラハを首都としたチェコスロバキアが独立、世界有数の工業国の中心として発展した。第2次世界大戦中のナチスドイツによる占領、その後の社会主義政権時代を経て、1993年チェコ共和国として独立。2004年にはEU加盟を果たした。
中世ヨーロッパの面影を色濃く残すプラハの街並みは「魔法の都」「百塔の町」「建築博物館の町」などと称され、1992年にはプラハの歴史地区が世界遺産に登録された。
歴史地区は、新市街と、プラハ城南側のマラー・ストラナ(小地区)、さらに旧来の旧市街からなっている。
ヨーロッパ中央という他国から侵攻や干渉を受け易い立地にありながら、街並みがほとんど昔のまま残っている。
◆ プラハ生まれでプラハで没した『変身』や『審判』などの作品を著したフランツ・カフカ(Franz Kafka)もこの坂からのプラハの町並みを同じように眺めながら歩いた時もあったのかもしれない・・・・
▼ヴルタヴァ川と北方向の風景
▼カレル橋と橋塔と旧市街
▼ヴルタヴァ川と旧市街
▼マーネス橋と旧市街