コパン遺跡 (7) 神聖文字の階段と球戯場
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2010年4月27日(火)
【コパン遺跡】
①入り口 ②西広場 ③居住区と墓地 ④東広場と「ロサリラ・トンネル」
⑤アクロポリス ⑥神聖文字の階段 ⑦球戯場 ⑧グランプラサ(大広場)
▼コパン遺跡の見学ルート (Map from 地球の歩き方)
◆神聖文字の階段
1891年に発見された神殿26にある「神聖文字の階段」
ハーバード大学ピーポディ博物館が発掘した当初は下の10段と上の5段だけが辛うじて残っていたに過ぎなかったという。
コパン遺跡でもっとも有名なのが、この階段ピラミッドのマヤの神聖文字群であるが、この中からコパンの三種の神器やコパン初代王の石碑なども発見されている。
階段にはテント屋根がつけられ、雨や風化から保護されている。
高さ約30m。修復されて72段(発見当初は63段)になった階段には、初代ヤシュクックモ王から始まり15代王の即位まで、コパン王朝の栄光の歴史が2500文字以上のマヤ文字で刻まれている。
先コロンブス期(16世紀以前)におけるアメリカ大陸最長の文字記録である。
キリグアに敗北した13代目の王18ウサギ王が建設を開始し、15代目の王カック・イピヤフ・チャアーン・カウィール(煙貝王)が755年に完成させた。
小都市キリグアに負けて意気消沈した人心を鼓舞するためか、コパン王朝の“輝かしい”歴史が刻まれている。
▼ステラM
神聖文字の階段の前に置かれたステラMは、15代目の「煙貝王」が建立し、
その王の姿が刻まれているという。
◆階段ピラミッドとマヤの神聖文字
▼ 階段下部に残っているマヤの神聖文字
◆幅10mほどの階段中央には12段ごとにマヤの石像が鎮座している。
◆球戯場
マヤ遺跡に見られる球戯場遺跡の中で、コパンのものは古典期のものとしては最大規模。
18ウサギ王によって738年に建設された。球技場の両側が斜面になっており、その上に観覧席と思われるアーチの建造物が建っている。斜面の上部にはゴールと思われるコンゴウ・インコの頭部の石像が配置されてる。 重いゴム製のボールを肘、腰、足だけを使い地面に落とさないようにするペロタと呼ばれる球技で、トウモロコシの豊穣と天体の運行を正常にすることを願って行われていた奉納球技(ボクアクト)と考えられている。
▼グラン・プラザに出る。