アゼルバイジャン(3) <世界遺産> シルヴァン・シャー宮殿
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<コーカサス3ヶ国の旅> 2日目
【世界遺産・バクー旧市街地区】①シルヴァン・シャー宮殿
今日は、ホテルを8時出発して終日バクー観光。まずは高台の旧キーロフ公園の殉教者の小道を歩き、バクーの街と港の眺望を楽しむ。
次に【世界遺産・バクー旧市街地区】のシルヴァン・シャー宮殿、乙女の望楼、シャマフ門、隊商宿などを散策する。
【世界遺産・バクー旧市街地区】
この世界遺産が設定されているのは、カスピ海沿岸の都市バクーの旧市街である。城壁内は一般にイチェリ・シェヘル(アゼルバイジャン語で「内城」の意)と呼ばれている。登録年:2000年 世界文化遺産
バクーの町は5世紀頃からあったとされるが、その存在が確認されるのは10世紀以降である。バクーは伝統的に現在のアゼルバイジャン共和国東部にあたるシルヴァン地方の主要都市で、もともとペルシア人のゾロアスター教徒の多い街であったが、アラブ人とともにイスラム教が到来し、さらに現在のアゼルバイジャン人の直接の先祖となるテュルク系の遊牧民が侵入した。
1538年までは、土着の王朝シルヴァン朝が首都としていたが、南のアーゼルバーイジャーン地方(現在のイラン領アゼルバイジャン)に興ったサファヴィー朝の支配を受け、さらに1585年にはオスマン帝国によって征服された。まもなく17世紀にはサファヴィー朝の支配下に戻るなど、イランとトルコの政権の間で争奪が続いたが、1806年にはカスピ海西岸を南下してきたロシア帝国によって占領され、ロシア人主導で近代都市が建設された。
さまざまな民族の支配を受けたことにより、バクーはアゼルバイジャン固有の文化はもとより、アラブ、イラン、ロシアなどの影響と文化が共存する独自の景観を持つようになった。
▼宮殿を囲む城壁 19世紀のものらしい。
◆シルヴァン・シャー宮殿
シルヴァン・シャーの宮殿は旧市街での一番の見どころで、飾り気のないシンプルな石造りの建物で、当時この地(シルヴァン地方)を治めていたハーン(王)の一族が14、15世紀に建造された。
シェハマの首都が地震で破壊された後に、バクーに遷都したもので、宮殿は地上に24部屋、地下に28部屋ある壮大なものだった。
入口の間、客間、謁見の間を持つ王宮をはじめ、裁判所、地下牢、ドーム屋根のモスク、会議室、地下の廟、浴場などがある。
▼入口の門近辺
▼裁判所
▼裁判所 この地下が「地下牢」になっている。
▼裁判所の門の装飾
▼裁判所の周囲
▼ドーム屋根のモスクと見張り塔
▼投石機と大砲
▼ハマーム(浴場跡)
◆展示物コーナー
▼謁見の間
▼地下廟
◆宮殿を見学に来ていた地元の子供たち
▼宮殿内の小さな公園
▼地元の訪問客
◆シルヴァン・シャー宮殿に咲いていた花