古代エジプト展 第2章 冥界の旅 死者とのつながり
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第2章 冥界の旅
The Journey of the Dead
古代エジプトでは、人は死後に冥界の旅をへて再生・復活し、来世での永遠の生命を得ると考えられた。『死者の書』はその旅を無事に乗り切るために必要な知識や守護の力、特別な能力などを死者に与える呪文集であり、いわば来世への旅のガイドブックといえよう。
そこには、冥界の旅で死者を待ち受ける神々や動物、風変りな風景、困難な試練などが生き生きと描写された。
死は、この世からあの世へと死者を送る儀式の始まりだった。遺体はまず処置を施されてミイラとなり、完璧で永久的な体をもつ聖なる存在へと作り換えられる。続く埋葬の儀式に関する呪文は、『死者の書』の重要な部分を成し、葬送行列と墓で行われる儀式を描写する詳細な挿絵が描かれた。儀式の中で最も重要なのが、死者の体や口や目、耳、鼻などに五感を取り戻す「口開けの儀式」で、死者はこの儀式によって、供物を食べたり、旅の途中で必要に応じて呪文を唱えたりできるようになる。
死者が旅する冥界の環境は、現世のそれに似ていると考えられていた。死者が新しい生命に目覚めた時に再び使えるように、墓には衣服、化粧容器とパレット、道具箱、武器といった日常の品々が供えられた。豊かなナイル渓谷やデルタ地帯といった現実の自然世界を反映して、冥界にも土、水路、島、丘、畑、湖、道、洞窟、大気、火、光、闇、動物などが存在すると考えられた。
危険な動物との遭遇、恐ろしい神々が番をする門といった数々の難関を、死者は呪文の助けを借りてくぐり抜けなければならない。中でも最大の挑戦は冥界の王オシリス神による「審判」だった。死者の心臓を計量にかけて生前の行いの正しさが問われ、この結果によって死者が永遠の生命に値するかどうかが決まる。
善き者は楽園に迎えられ、悪しき者は罰を受ける。この重要な場面において、死者がどういう行動を取るべきかが、『死者の書』の重要な題材の1つだった。
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死者とのつながり
Contact with the Dead
死者が冥界に入った後も絆は途切れることなく、家族は日常的に死者と接触することができた。埋葬の準備を行い、葬送の儀式によって死者の魂を助け、墓を定期的に訪れて供物を捧げるのは家族の役割とされた。死者は生きている者を助けることもできれば、害を与えることもできたため、死者をどのように扱うかは、生きている者に大きな影響を与えた。
◆◆2-2-14
役人の供養像
Tomb statue of an official
古代エジプト人は、死者も現世の共同体とのつながりを持ち続けると信じていた。生者と死者の接触は、供物の奉納を通して行われ、亡くなった先祖の魂が必要とする食物やその他の必需品が捧げられた。親族の者が、墓の礼拝堂に食物や飲み物を持参する時、死者の精霊カーも、像の中に宿ってその場に居合わせると信じられていた。
この像は、儀式の中心的役割を担うために墓の礼拝堂に置かれた典型的な像である。現在では上半身しか残っていないが、元々は膝の上に両手を載せた坐像であったと思われる。腰布の中央に彫られたヒロエグリフの碑文の最初の部分には、奉納される供物が記されている。また、像の下の部分には、像の主である被葬者の名前が彫られていたはずである。残念ながら碑文のほとんどは失われているが、丹精な像の作りから、高い地位の人物であったと考えられる。長く装飾の少ない、カツラ、短い髭、微かな口元の笑みといった造作の特徴からトトメス3世の治世の作例であろう。
新王国時代、第18王朝、前1450年頃、テーベ
◆◆2-2-15
ベスエンムウトの供養碑
Funerary stela of Besenmut
供養碑の意味合いは単なる墓標から特別な力をもつ重要な存在へと発展した。ほとんどの供養碑は、墓の礼拝堂に納められ、死者を奉る儀礼の中心となる機能を果たした。古王国時代や中王国時代、多くの供養碑は「偽扉」の形をとった。「偽扉」とは石に描かれた出入り口で、親族や神官が運ぶ供物を受け取るために死者の霊がそこを通って行き来すると信じられていた。その他の多くの供養碑は、上部が丸みを帯びた単純な形をしており、新王国時代以降にテーベの墓に納められたものは、大半が木製であった。
この供養碑にはメンチュウ神官であるベスエンムウトの名前が記されている。有翼の太陽円盤の下には、二つの姿をした太陽神を崇拝するベスエンムウトが描かれている。左は夕べの太陽であるアトゥム神、右は昼の太陽であるラー・ホルアクティ神を表している。図の下の文章には、この二人の神を讃える短い讃歌が含まれている。
木、彩色、高さ50㎝、幅34㎝
末期王朝時代、第26王朝、前664-前525年頃
出土記録なし、テーベ