日本神話の旅 【伊勢神宮】 外宮 豊受大神宮
|
◆◆伊勢神宮 外宮
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。
豊受大神宮は外宮と呼ばれ豊受大御神をお祀りしている。
今からおよそ1500年の昔(西暦五世紀)に第21代雄略天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波の国(今の京都府北部)から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされたと言い伝えられている。
▼第21代雄略天皇
【雄略天皇】 『Wikipedia』 より拝借
雄略天皇(ゆうりゃくてんのう、允恭天皇7年12月 - 雄略天皇23年8月7日)は、第21代天皇(在位:安康天皇3年11月13日 - 雄略天皇23年8月7日)。大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)、大長谷若建命、大長谷王(古事記)、大悪天皇、有徳天皇とも。
また『宋書』、『梁書』に記される「倭の五王」中の倭王武に比定される。その倭王武の上表文には周辺諸国を攻略して勢力を拡張した様子が表現されており、熊本県玉名郡和水町の江田船山古墳出土の銀象嵌鉄刀銘や埼玉県行田市の稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣銘を「獲加多支鹵大王」、すなわちワカタケル大王と解して、その証とする説が有力である。
『日本書紀』の暦法が雄略紀以降とそれ以前で異なること、『万葉集』や『日本霊異記』の冒頭に雄略天皇が掲げられていることから、まだ朝廷としての組織は未熟ではあったものの、雄略朝をヤマト王権の勢力が拡大強化された歴史的な画期であったと古代の人々が捉えていたとみられる。
【豊受大御神】 (とようけのおおみかみ)
この豊受大御神(とようけのおおみかみ)は天照大御神のおめしあがりになる大御饌(おおみけ…食物)の守護神であり衣食住、農業をはじめひろく諸産業の守護神をつかさどる神とされている。
『古事記』では伊弉冉尊(いざなみ)の尿から生まれた稚産霊(わくむすび)の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に鎮座したと記されている。神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神である。
後に、他の食物神の大気都比売(おほげつひめ)・保食神(うけもち)などと同様に、稲荷神(倉稲魂命)(うかのみたま)と習合し、同一視されるようになった。
伊勢神宮外宮の社伝(『止由気宮儀式帳』)では、雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比沼真奈井(ひぬまのまない)にいる御饌の神、等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、丹波国から伊勢国の度会に遷宮させたとされている。
即ち、元々は丹波の神ということになる。
『丹後国風土記』逸文には、奈具社の縁起として次のような話が掲載されている。丹波郡比治里の比治真奈井で天女8人が水浴をしていたが、うち1人が老夫婦に羽衣を隠されて天に帰れなくなり、しばらくその老夫婦の家に住んでいたが、十数年後に家を追い出され、あちこち漂泊した末に竹野郡船木郷奈具の村に至ってそこに鎮まった。この天女が豊宇賀能売神(とようかのめ、トヨウケビメ)であるという。
▼北御門口の火除橋
▼北御門鳥居
▼神楽殿
この神楽殿の一角でお守りやお札を購入できる。
◆◇◆御正殿
第21代雄略天皇の22年(5世紀)、天照大御神のお告げがあり、丹波の国からこの伊勢の国にお迎えしたと伝えられています。
これは、天照大御神の内宮御鎮座より、481年後の事だと言われています。
この豊受大神宮は外宮(げくう)とも呼ばれ親しまれていますが、天照大御神のお召し上がりになる大御饌(御食物)の守護神であり、すべての産業をお守り下さる神様として豊受大御神をお祀りしています。
御正殿は唯一神明造りと呼ばれる建築様式で、一般神社の神明造りと区別して呼ばれています。
屋根は切り妻造りの平入で萱葺きであり。両端の破風板の先端が屋根をつらぬいて千木(ちぎ)となっていて、外宮ではこの千木の先が大地と直角(垂直)の外削ぎになっています。(内宮では水平の内削ぎになっています)
▼伊勢神宮 外宮 豊受大神宮の御正殿①
▼伊勢神宮 外宮 豊受大神宮の御正殿②
棟の上には9本の鰹木が並び、この棟を直接支えている棟持柱が両端にあります。柱は堀立式の丸柱で地中に埋め建ててあり、素木(しらき)造りで造られています。
▼伊勢神宮 外宮 豊受大神宮の御正殿③
これらの唯一神明造りは高床式の穀倉の形式から発展したものといわれ、現在まで脈々と受け継がれています。
▼伊勢神宮 外宮 豊受大神宮の御正殿④
▼伊勢神宮 外宮 豊受大神宮の御正殿⑤
▼土宮、風宮、多賀宮の別宮へ
◆土宮
土宮は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)の麓にある外宮の別宮である。
別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。
正宮前の池の横の亀石を渡った先の石段の左に風宮が、右に土宮がある。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。
◆風宮
土宮の東には、級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)の風神をおまつりする風宮があります。
元寇時に神風を吹かしたと伝えられます。内宮にも同じ御祭神の風日祈宮があります。
▼風宮
▼石段を登っていく
◆多賀宮
多賀宮は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)にある。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。
山頂にあるので高宮(たかのみや)であったが、縁起のよい字を当て多賀宮(たかのみや)になったと考えられている。
▼多賀宮の参拝が終わり、石段を下りていく
▼帰りの北御門口の火除橋
これから車で伊勢神宮内宮の駐車場へ向かう。