【鹿野田神社】 山幸彦所縁の御神水「潮満玉の泉」
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2014年3月24日参拝
◆「天孫族・追憶の旅」第二弾。(3月22日~24日)
①霧島神宮・古宮址(霧島市高千穂河原) ②霧島東神社 ③狭野神社
④霧島岑神社 ⑤東霧島神社 ⑥鵜戸神宮 ⑦潮嶽神社 ⑧青島神社
⑨鹿野田神社 ⑩都萬神社 ⑪宮崎神宮 ⑫宮崎縣・護国神社 ⑬江田神社と禊の御池
⑭都農神社 ⑮立盤神社と美々津の海
▼鹿野田神社の位置
◆鹿野田神社は、古くは「潮妙現大明神(うしおみようげんだいみょうじん)」と称し、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)=山幸彦を祭神とする。鹿野田神社境内に、「潮満玉の泉」と呼ばれる海水の湧き出る井戸があり、御神水となっている。
享保11年(1726)社殿を再興した時の棟札から弘安(1278~1288)以前より勧請された古社であることが推考されている由緒ある神社。
古来この地方を支配していた、土持、伊東、島津などの歴代領主の崇敬も極めて篤かった。
明治6年 鹿野田神社と改称、郷社に列せられた。 現在も鹿野田郷鎮守の神として昔に変わらず郷民の崇敬を集めている。
▼国道沿いに建つ一の鳥居
国道219号が一ツ瀬川を越えるあたりから、西へ2kmほど入ったところに、鹿野田神社がある。
▼神社入口の二の鳥居
一の鳥居から200m入ったところに神社入口の二の鳥居がある。
▼昭和61年(1986)11月建立の阿形の狛犬
▼昭和61年(1986)11月建立の吽形の狛犬
◆◆「潮満玉の泉」
鹿野田神社境内に、「潮満玉の泉」と呼ばれる海水の湧き出る井戸があり、御神水となっている。
この井戸は12kmも離れた日向灘の干満に合わせて水位が上下すると言われている。
鹿野田神社の御祭神、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)は、海幸山幸の物語の中の山幸彦ですが、兄君火照命(ホデリノミコト)の釣針をなくされ、それを探しに海神綿津見大神(ワタヅミノオオミカミ)のもとへ行き、三年の後なくした釣針のほかに潮満玉(しおみつたま)と潮涸玉(しおひるたま)を授かって帰られた。
この潮満玉・潮涸玉が鹿野田神社の御神体であり、この潮満の泉はその御神徳によるものといわれている。
▼このガラスのかかった井戸が本来のものらしい。
▼現在の飲泉用の汲む井戸・・・一口飲んでみたが、やはり若干塩からかった。
井戸の塩水は、飲むと慢性胃腸病、便秘に、浴用としては神経痛、筋肉痛、疲労回復、慢性皮膚病などに効能があると昔から言われています。
平安時代の有名な女流歌人和泉式部は八代(国富町)の法華嶽薬師に参籠した後、帰郷の途中再び病となり鹿野田氷室の里(潮)までたどりつき、この潮満の泉で湯治をと思ったのか、近くの薬師堂に籠り読経三昧の日を送り、竟にこの地で四十三才の生涯を終わったと伝えられています。
「日隠れや氷室の里を眺むれば藻塩の烟りいつも絶やせぬ」
これは和泉式部の歌といわれ、近くに籠った薬師堂跡と式部の墓があり里人によって祀られています。
江戸時代の末には、勤王の志士高山彦九郎が諸国遊説の途この社に参拝し村人と濁酒を汲み交し、また飫肥藩の学者安井息軒が都於郡の史跡巡りをしてここを訪れ、神主の丸山宅に一泊して夜通し神楽を見物し「筋骨のあらぶる神の一さしに天の岩戸は早明けにけり」と詠んだと記されています。(現地案内文を元に記載)
▼手水舎
▼鹿野田神社の神紋でしょうか・・・
◆推定樹齢450年のご神木・大楠
推定樹齢450年、樹高20mのご神木・大楠
◆参道の石段と三の鳥居
◆鹿野田神社・拝殿
御祭神: 彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)
鹿野田神社の御祭神、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)は、海幸山幸の物語の中の山幸彦ですが、兄君火照命(ホデリノミコト)の釣針をなくされ、それを探しに海神綿津見大神(ワタヅミノオオミカミ)のもとへ行き、三年の後なくした釣針のほかに潮満玉(しおみつたま)と潮涸玉(しおひるたま)を授かって帰られた。
▼拝殿前の阿形の木製神殿狛犬
▼拝殿前の吽形の木製神殿狛犬
▼拝殿全景
◆鹿野田神社・本殿
◆境内社:稲荷神社と白鬚神社
▼稲荷神社(左)、白鬚神社(右)
◆鹿野田神社の桃の花
▼花の写真を撮っていたら、ご近所のこの方にキンカンを頂きました。
ありがとうございました。
そして宮崎が大好きになりました。(笑)
▼そのキンカンの木