アルジェリアの旅(26) 世界遺産ティムガッド遺跡
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①アミール・アブドゥル・カーディル・モスク ②マドガセン遺跡
③世界遺産ティムガッド遺跡 ④パトナ
▼コンスタンティーヌ→マドガセン遺跡→世界遺産ティムガッド遺跡→パトナ
◆◇◆世界遺産ティムガッド遺跡
遺跡は、アルジェリアのコンスタンチンから南西に約110km、バトナ (Batna) から35kmのところにある。
ティムガッド は、西暦100年頃にトラヤヌス帝によって建設された古代ローマの植民都市である。ティムガッドの遺跡は、古代ローマの都市計画に碁盤目状の区画が導入された例を伝える現存の最良遺跡の一つである。
長い間砂に埋もれていたことから保存状態がよく、「アフリカのポンペイ」の異名をとる。
ティムガッド遺跡は1982年、世界文化遺産に登録された。
▼円形劇場から眺めたティムガッド遺跡
この町は元々、オーレス山地近隣における対ベルベル人の要塞とすることを主目的に、何もないところに建市された軍事コロニーであった。そこには、古代ローマ軍に所属するパルティア人のベテランが主に入居し、数年の軍役と引き換えに土地が給付されていた。
▼フォーラムとデクマヌス通りと凱旋門
6つの道の交差点に位置したこの町には壁が張り巡らされていたが、城塞都市といえるものではなかった。本来は収容人員15000人を想定して設計された都市であったが、すぐに予定をオーバーし、碁盤目状の区画の外側に、より柔軟な区画設計で拡大していった。
▼フォーラム近くの風景
本来のローマの碁盤目状の区画は、部分的に復元されたコリント式の円柱が並んでいる東西方向のデクマヌス・マクシムス通りと南北方向のカルド・マクシムス通りによって線引きされている直行的デザインのうちに、大々的に見出すことが出来る。カルドは町を完全に貫くものではなく、デクマヌスとの交差点にあたるフォーラムで止まっている。
▼デクマヌス大通りとトラヤヌス凱旋門
デクマヌスの西端には、高さ12mの凱旋門「トラヤヌスの門」がそびえている。この門は、1900年に部分的に修復されている。門は主に砂岩で出来ており、3つのアーチを持つコリント様式に属している。この凱旋門は「ティムガッドの門」としても知られている。
▼トラヤヌス凱旋門
3500人収容のローマ劇場は保存状態が良く、現代の上演などにも使われている。他の主要建造物には、4つの公衆浴場や図書館、バシリカなどがある。
▼ローマ円形劇場とティムガッド遺跡の全体像
また、ローマのパンテオンに匹敵する規模の、ユピテルに捧げられた神殿も存在し、そのそばには7世紀に遡る円い後陣を持つ四角い教会堂がある。より後の時代にはなるが、都市の南東部には、東ローマ帝国によって建造されたシタデル(城塞)も存在する。
▼カピトリウム神殿
都市は建造された後の数百年間は平和を謳歌し、3世紀に始まったキリスト教活動の中心の一つとなった。4世紀には異端派Donatistの拠点となった。
5世紀には、ヴァンダルの侵略を受け、都市は没落した。535年には東ローマの将軍ソロモンが占拠し、改めて都市を建造した。この結果、主要なキリスト教都市として再び人々が住まうようになったが、7世紀にはベルベル人の侵攻を受け、打ち棄てられた。以降、1881年に発掘されるまで、ティムガッドは歴史の表舞台から姿を消すこととなる。
◆◇◆世界遺産ティムガッド遺跡をじっくり見学
まず北の入り口からカルドを南にぽれぽれと歩いていった・・・
◆博物館と石碑
入口付近の博物館の外壁に沿って数々の墓碑、供養台、石棺が並んでいる。これらは最後に紹介することにする。
▼ティムガット遺跡入口
◆南北に走るメインストリートのカルドをぽれぽれと進む
遺跡の見学は、北の入口から入って、南北に延びる玄武岩の石畳みのカルドを進む。
カルドには馬車が通った轍の跡が残っている。カルドの下には下水溝があり整備用の穴もある。カルドの両側には商店が並び、商店の後ろは整然と区画された同じ広さの住宅跡が並んでいる。
▼カルドの両側には商店があり、その奥に居住区が整然と広がっている。
◆図書館
図書館には約5000冊のパピルスの蔵書、中央には智恵の女神ミネルヴァの像やフクロウの像があった。現在は台座だけが残っている。入口にはWELCOMEを意味するラテン語で「FELICITER」の文字が刻まれた石碑が横たわっていた。
▼入口のラテン語で「FELICITER」(WELCOME)と書かれた石碑
◆東西のデクマヌス通り
そのまま南に直進するとT字路になっていて、これが街の中心部を東西に走るデクマヌス通り。このデクマヌス通りの後方(西側)にはトライヤヌスの凱旋門が建っている。
◆公衆トイレと豪邸
フォーラムよりやや高台に設けられているトイレ。イルカの形をした肘付きで、当時は入口に開閉の扉があったという。こちらは有料だったらしい。
町には上下水道が完備。雨水を貯めたり、遠水路を設けて川水を引いて水を確保し、水洗の公衆トイレに活用した。
公衆トイレは、公衆浴場、フォーラム、図書館と共に市民の社交場だった。
▼公衆トイレ
▼居住区には馬車でそのまま入れる豪邸もあった。
▼下水設備の跡
◆フォーラム(公共広場)
カルドはフォーラムに突き当る。フォーラムは50mX43mの広さがあり、3500人が入れたという。
フォーラムの敷石に、「狩りをして風呂に入り、戯れ、笑う、これが人生だ」と書いた退役軍人の落書きがあった。
フォーラムには、また人々が楽しんだと思われるゲーム用の石板、床に溝を彫った日時計跡などが残っている。当時、議事堂や裁判所などがあった。
▼「狩りをして風呂に入り、戯れ、笑う、これが人生だ」と書いた退役軍人の落書き
「旅をし、落書きを見、風呂に入り、酒を飲み、戯れ、笑う、これが人生だ」 (笑)by ヤスコヴィッチ
▼床に彫られたゲーム
◆バシリカ教会堂跡
フォーラムの東隣にバシリカ教会堂跡があった。
◆野外円形劇場
フォーラムの南に円形劇場が非常に良い状態で残っていた。円形の階段観客席は約3500人収容。長方形の舞台の背後に列柱廊が造られている。
観客席や舞台、その背後の列柱などが状態よく保存され、当時を偲ばせる。舞台に立って、パンパンと手を打つと、心地よい反響が返ってきた。音響効果もよい。
◆円形劇場からの眺め
▼下では子どもたちが遺跡見学中
▼郊外の遺跡の遠望
▼ビザンチン時代の要塞
▼住居地区から眺めた円形劇場
◆南大浴場跡
円形劇場の南に南大浴場があり更衣室やジム、冷浴室などがあった。ティムガッドには大小14の公衆浴場があったとされるが、その中でも最大の浴場。日光浴場や体を鍛えるためのジムも完備していた。
中に入って、スチームサウナの裏側に回り、焚き口や蒸気を吐き出す仕組みを見学した。ジムの床には、わずかながらモザイクも残っていた。
▼浴場の床のモザイク・タイル
▼スチームサウナの裏側の焚き口・・・ここでは奴隷が働いていたという。
◆カピトリウム神殿
浴場からは南西のエリアを北に上がると、前方に2本の石柱が聳える遺構がある。
ジュピター、ジュノー、ミネルヴァのローマの3神を祀っていたカピトリウム神殿である。
2世紀後半に建立された当時は、長辺90m、短辺62mの基壇の上に高さ14mの石柱6本が建っていて、神殿の切妻屋根を支えていたという。8世紀頃の地震でで崩壊したといわれ、現在は2本を残すのみ。
神殿の回りには、柱頭や折れた石柱、神殿の装飾らしい石板、基台の一部などが転がっている。
▼柱頭は植物の文様、鶏などの彫刻が浮き彫りされ、重さは6トンもある。
◆セルティウス市場
トラヤヌス帝の凱旋門に向かって歩いていくと住民の台所だったセルティウス市場がある。人口の増加によって都市が拡張された際に、大商人セルティウスの財力で建設され寄贈された。壁に沿って石のカウンターが並び、その後ろには畳1畳ほどの商品を置く空間が設けられている。
また、それぞれの店には、売っている商品がひと目でわかるように、ブドウやキャベツ、ワイン、イチジク、メロン、花などを浮き彫りした石の看板が設置されていた。
▼市場の入口のセルティウスの名を刻んだ石碑
▼市場から眺めた凱旋門
▼市場から眺めたカピトリウム神殿
▼商店の紋様① ワイン屋・・・ワインの壺の上で葡萄の蔓を握るバッカス神
▼商店の紋様② イチジク屋
▼商店の紋様③ メロン屋
▼商店の紋様④ 小麦粉屋
▼商店の紋様⑤ 花屋
◆トラヤヌス帝の凱旋門
2世紀初頭に建造されたコリント様式。高さが12mある砂岩造りの堂々とした建造物。
門の下に幅3.5cmの轍が2本。ローマ軍の馬車が頻繁に行き交ったようで、深い溝がはっきり残っていた。
トラヤヌス帝は、通常軍隊の凱旋行進のときは、皇帝は馬に乗って行進するが、帝は常に民衆と同じ視線にするため、下馬して行進したと伝えられている。名君として、当時のローマ市民の尊敬を集めたという。
◆遺跡の見学を終え、ぽれぽれと引き上げる・・・
凱旋門からデクマヌス通りを西に、カルドを北に歩きながら・・・出口へ向かう。
◆ティムガッド遺跡の野花
◆博物館の外壁の墓碑、供養台
▼キリスト教以前のアルジェリアで主祭神的存在だったサートゥルヌス神(農耕の神)。上部の右が太陽で、左が月を表している。
▼博物館付近の墓碑
▼夫70歳、妻75歳で他界。第六子の娘が墓碑を建立したことが記載されている。