アルジェリアの旅(39) 「望郷」のアルジェ旅情
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【アルジェ旅情】
◆今回の旅の観光予定だったアルジェリアの6つの世界遺産
1ティパサ遺跡、
2ベニ・ハマッド遺跡、
3ジェミラ遺跡、
4ティムガッド遺跡、
5ムザブの谷、
6アルジェのカスバ
このうちアルジェのカスバを残すのみとなった。
アルジェのカスバの観光の前にアルジェの風景を追憶したくなり、、「望郷」のアルジェ旅情ということで今回はアルジェのハイライト編。
◆アルジェ
アルジェは、アルジェリア民主人民共和国の首都であり、アルジェリア最大の都市である。人口は約340万人
海岸付近の低地に発達した近代的な部分と標高100m以上の高地にある古都部分に分けられる。海岸付近は「北アフリカのパリ」という言葉に相応しく、植民地時代の影響でノートルダム大聖堂に代表されるフランス風の建築物が立ち並んでいる。また、地中海沿岸の他都市と同様に白壁の建物が多い。内陸の旧市街部はイスラム風の建築物が多く、モスクが数多く点在している。また、映画「望郷」の舞台として知られるカスバ(城壁)は1992年世界遺産に登録された。カミュ作の小説『異邦人』の舞台としても有名。
◆◆「望郷」のアルジェ旅情
▼展望台から眺めたアルジェの街
▼展望台から眺めたアルジェの街
▼展望台から眺めたアルジェの街
▼早朝のアルジェ
▼早朝のアルジェ
▼早朝のアルジェ
▼早朝のアルジェ
▼早朝のアルジェ
▼早朝のアルジェ
▼カスバから眺めたアルジェ湾
▼夜のアルジェ
◆サフィール・ホテル Hotel Safir Alger
映画 『望郷』 のラスト・シーンに使われたホテル。旧アレッティ・ホテル
アルジェ中心部に位置するこのホテルは、3km圏内にエミール アブデルカデール広場、グラン ポスト、マルティール広場、総督官宮殿およびケチャワ モスクがある。
▼サフィール・ホテル Hotel Safir Alger
▼サフィール・ホテル Hotel Safir Alger
▼サフィール・ホテル Hotel Safir Alger
▼サフィール・ホテル Hotel Safir Alger
▼サフィール・ホテル Hotel Safir Alger
▼サフィール・ホテル Hotel Safir Alger
▼映画『望郷』のラスト・シーン
◆サフィール・ホテル界隈
▼サフィール・ホテルからの眺め
▼サフィール・ホテルからの眺め
紀元前1200年頃にはフェニキアがこの地に植民して交易所を置いていた。ポエニ戦争後は、ローマ帝国の領土となってイコシウムとよばれたが、5世紀中頃にゲルマン系ヴァンダル族によって一時侵略された。次に、東ローマ帝国がここを支配したが、650年アラブ人に駆逐された。
▼サフィール・ホテル界隈
950年頃、先住民族ベルベル人のズィール朝によって現在の市街が創建された。彼らによって名付けられた現在のこの町の名前「アルジェ」は、「島」を意味するアル・ジャザーイルというアラビア語に由来する。それから500年間、この町の支配権はヨーロッパ、アラブ、ベルベルの軍人たちが交互に握った。
▼サフィール・ホテル界隈
1510年、スペインが湾の小島の1つペニョン島を占領し、アルジェ要塞とした。1516年にバルバリア海賊のバルバロス・オルチとバルバロス・ハイレッディン兄弟がアルジェ占領 (1516年)に成功。1518年にアルジェを支配していたバルバロス・オルチとバルバロス・ハイレッディン兄弟は、対スペイン戦の支援を求め、オスマン帝国に帰属することを宣言。1529年にバルバロス・ハイレッディンはアルジェ占領 (1529年)に成功し、スペイン人を追い出した。1538年のプレヴェザの海戦でオスマン帝国からアルジェリアに至る地中海の制海権を掌握。1541年、スペインがアルジェ遠征 (1541年)に失敗。オスマン帝国支配時代のアルジェは、オスマン艦隊の拠点となり、ヨーロッパ諸国から海賊海岸として恐れられた。その後230年間にわたって、行政・交易・地中海での海賊活動の中心として栄えた。
▼サフィール・ホテル界隈
1775年、スペインがアルジェ侵攻 (1775年)に失敗。1783年、スペインがアルジェ砲撃 (1783年)に失敗。1784年、スペイン・ポルトガル・両シチリア王国・マルタ騎士団連合軍がアルジェ砲撃 (1784年)に成功。1815年、アメリカの艦隊が遠征し、アメリカ船舶への攻撃中止を約束する平和条約を結ぶようにもとめた。しかし海賊活動・海賊貿易は継続されたため、翌1816年にオランダとイギリスの連合艦隊はアルジェ砲撃によってアルジェリア艦隊をほぼ壊滅させ、地中海の制海権を手中にした(第二次バーバリ戦争)。オスマンの艦隊としてのアルジェは1830年に幕を閉じた。
▼サフィール・ホテル界隈
この年、フランスはアルジェに上陸・占領し、やがて国全体を占領した(アルジェリア侵攻)。
フランス支配は1962年の独立まで続いたが、フランスはアルジェを植民行政の根拠地として都市づくりを行い、海岸部にはフランス風の近代都市が建設されて、現在のアルジェの姿はここで完成した。第二次世界大戦中は、当初ヴィシー・フランスに属したが、1942年のトーチ作戦で連合国軍による解放が行なわれた後、連合軍の北アフリカ司令部とド・ゴールの自由フランス政府がここに設置された。
▼サフィール・ホテル界隈
第二次世界大戦後、世界的な脱植民地化の流れの中でアルジェリアの独立運動が高揚し、アルジェリア戦争(1954年 - 1962年)が始まると、アルジェもアルジェの戦い (1956年 - 1957年)(1966年に映画化された『アルジェの戦い』で知られている戦闘)でフランス軍とFLNの間の戦場となった。1962年の独立後、アルジェから引き上げたピエ・ノワールと入れ替わるように人口が集中し、住宅不足や交通渋滞や水不足などさまざまな都市問題が生じている。
▼アルジェの風景
▼アルジェの風景
▼アルジェの風景