【五穀神社】 東芝の創業者・田中久重翁 ゆかりの神社
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2015年2月27日(金)参拝
午後から久留米市の櫛原天満宮、日吉神社、大善寺玉垂宮、
五穀神社、北野天満宮を参拝。
▼五穀神社の位置
◆五穀神社
五穀神社は、豊宇気比売神(とようけひめのかみ)を主祭神とし、相殿に稲次因幡正誠公(いなつぎいなばまさざねこう)を祀る。東芝の創業者である田中久重ゆかりの神社である。
境内の一角にある「郷学の森」には久留米市出身の著名人6人(井上伝・田中久重・倉田泰蔵・石橋正二郎・石橋徳次郎・楢橋渡)の胸像が設置されている。
▼五穀神社・由緒
【五穀神社・由緒】
御祭神は、豊宇気比売神(とようけひめのかみ)
相殿に稲次因幡正誠公 (いなつぐいなばまさざねこう)
創建は、寛延2年(1749)
末社に、天満神社(御祭神:菅原道真公)と秋葉神社(御祭神:味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)
豊受気比売神は五穀を司り給う神にして伊勢神宮の外宮の御分霊であり、稲次因幡公は享保十三年久留米藩農民騒擾に際して、その解決に一身を捧げた功績を敬慕して相殿される。
神殿は大庄屋中より、拝殿は惣御郡中より寄進し、社地は藩主有馬頼徸公の寄進するところである。
▼五穀神社社頭の注連柱
◆五穀神社と「からくり儀右衛門」
「からくり儀右衛門」とは、「田中久重(ひさしげ)」と言う江戸時代から明治にかけて活躍した久留米の発明家のことで、「五穀神社」の祭礼で「水からくり」などの新しい仕掛けを次々に考案し評判を呼んだ。
懐中燭台や無尽灯なども考案。嘉永4年(1851)には当時の時計の最高傑作「万年自鳴鐘(まんねんじめいしょう)(国指定重要文化財)を完成させた。
明治6年(1873)に上京し、東京銀座に電信機関係の製作所を設立し、これが現在の「東芝」の基礎となった。
▼田中久重翁の胸像
▼井上伝の胸像
井上伝は「久留米絣」の創始者で、「久留米絣」を試行錯誤して完成させた。大好評で久留米藩の特産物になった。女手一つで子供を育てながら、「久留米絣」を完成させた。
▼五穀神社社頭の注連柱
▼五穀神社・石橋の説明板
◆五穀神社の神池と石橋
▼五穀神社の神池と石橋
▼五穀神社の神池
▼五穀神社の石橋と参道
▼五穀神社の参道
◆五穀神社・境内
▼境内へ
▼手水舎
▼境内の参道
▼拝殿前の阿形の狛犬
▼拝殿前の吽形の狛犬
◆◆五穀神社・拝殿
【御祭神】 豊宇気比売神(とようけひめのかみ)
【相殿】 稲次因幡正誠公 (いなつぐいなばまさざねこう)
創建は、寛延2年(1749)
豊受気比売神は五穀を司り給う神にして伊勢神宮の外宮の御分霊
▼五穀神社拝殿
▼五穀神社拝殿
▼五穀神社拝殿
▼五穀神社拝殿
◆◆五穀神社・本殿
▼五穀神社本殿
▼五穀神社本殿
▼五穀神社本殿
▼五穀神社本殿
▼五穀神社本殿
▼五穀神社本殿
◆五穀神社の境内の風景
境内の一角にある「郷学の森」には久留米市出身の著名人6人(井上伝・田中久重・倉田泰蔵・石橋正二郎・石橋徳次郎・楢橋渡)の胸像が設置されている。
▼神池の近くでカササギ発見
日本では福岡県(筑後平野一帯)や佐賀県(佐賀平野一帯)といった有明海を取り囲む平野部を中心に生息していたが、近年は福岡県の全域に分布し、山口県に生息を広めつつある。また、北海道・長崎県・熊本県・大分県の一部地域でも少数が生息している。現代中国語では「喜鵲」と呼ぶ。