【諏訪神社】 百済の鷹使い誓来と諏訪姫の悲話伝説
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2015年3月4日(水)参拝
◆この日は午後から天気が回復してきたので、
唐津の鏡山神社、作用姫神社、唐津神社、諏訪神社を参拝。
▼諏訪神社の位置
◆諏訪神社・諏訪姫伝説
―諏訪姫伝説―
百済から誓来という鷹使いが大和朝廷に鷹を献上するため渡来すると、朝廷からは大矢田連の娘である諏訪姫がこの鷹を受け取るため浜崎まで遣わされ、鷹狩の技術を学ぶこととなった。
2人は恋愛関係となったが誓来は帰国することとなり、その際に行われた鷹狩で鷹がマムシに絞め殺されてしまった。これを嘆き諏訪姫は自害したため、これを悼み諏訪姫は諏訪神社に祀られることとなった。
◆◆鳥居と参道
▼諏訪神社・一の鳥居
▼「諏訪大明神」の扁額
▼諏訪神社・社頭
▼神門前の一の鳥居
▼「諏訪神社」 社号標
▼「諏訪神社」案内図
◆諏訪神社・神門
▼神門
▼神門
▼神門
▼神門から眺めた拝殿
▼参道の阿形の狛犬
▼参道の吽形の狛犬
▼参道と拝殿
▼参道
◆境内
▼手水舎
▼参道の鷹
▼参道の鷹
▼拝殿前の阿形の狛犬
▼拝殿前の吽形の狛犬
◆◇◆諏訪神社・拝殿
【御祭神】
建御名方命
天照大神
諏訪前命
延歴三年甲子十月二十七日御鎮座。宣化天皇の御代大伴狭手彦、新羅征伐戦勝祈願のため勧請せり。
【特別由緒】
昔本朝鷹狩りを知らず。韓人斎来此の地に鷹を持ち来りて朝廷に献らんと請う。勅使諏訪の前、此の松浦の社頭にて鷹を受け取り諏訪大神の愛を給う所となる。或る時神鷹三本松と言える畠の中にて蝮の害にあう。大神怒り給い此の地より蝮を拂い除け給う。諏訪の前は責任を感じ自害し、郷人その徳を慕い合祀す。 斎来も此の地に客死す。末社に祭れり。 田畠に胡麻、小豆、麻 を作れり。故に此の地に此の三つを作らず。古来より社前に詣り神砂を乞いて蝮除の護符とす。
▼諏訪神社・拝殿
▼諏訪神社・拝殿
▼諏訪神社・拝殿
▼諏訪神社・拝殿
▼諏訪神社・拝殿
▼諏訪神社・拝殿
▼諏訪神社の釣り灯篭
▼「諏訪宮」の 神額
▼拝殿内部
▼拝殿内部
左右一対の鷹と中央の大鷹
◆◆諏訪神社・本殿
▼諏訪神社・本殿
▼諏訪神社・本殿
▼諏訪神社・本殿
◆◆祇園社
【祭神】
建速素戔鳴尊・櫛名田姫・大国主之命
▼阿形の狛犬
▼吽形の狛犬
◆夫婦岩を祀る道祖神社
猿田彦命(雄石)・天宇豆目命(雌石)
境内に祀ってある夫婦岩。55年ほど前に近くの野田という部落で「女岩」が夜毎にすすり泣くといわれ、先代宮司と村人が相談の上、諏訪神社に前からあった「男岩」に嫁入りさせ、その後鳴き声はきこえなくなったという話しである。「道祖神」として祀られ、その後、「縁結び」「夫婦円満」「子授け」の神として参詣者が後を絶たない。
◆抱擁の樹
諏訪姫様と誓来の永遠の愛の契りが具現化したこの抱擁の木は、インド密教の世界では「歓喜仏」と称して、もの凄いエネルギーが存在しています。
◆佐賀の名木・古木の大楠
◆神苑の池と諏訪神社
広い御神苑。築山が諏訪姫を埋葬した古墳であると伝わっている。
諏訪姫とは、大和朝廷で身分の高い大矢田連(おおやだのむらじ)の娘で、百済から献上される鷹を受け取り、当時まだ日本には伝わっていなかった鷹匠の技術を修得するために勅使としてはるばる下って来た姫君で、百済人の鷹使い・斎来と身分の違いを超えて恋仲になったものの、大切な鷹を蝮に殺され責任を取って自害しこの地に埋葬された姫である。現在の庭園は明治4年の造園。