【高祖神社】 神功皇后が三韓より凱旋の後、社殿を御建立
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2015年3月5日(木)参拝
◆3月5日(木)
糸島の高祖神社、雷神社、幸神社、川上六所神社、
伊都国稲荷、八幡宮、宇美八幡宮の7社を参拝
▼高祖神社の位置
◆高祖神社
高祖神社(たかすじんじゃ)は彦火々出見尊、玉依姫命、息長足比女命(神功皇后)を祀っている。
糸島の高祖山(標高416m)の麓の西斜面の深い木立の中に静かに鎮座している。
九州諸将軍記には「神代より鎮座あり神功皇后韓国より帰還の後、当社の社殿を乾の方に向け御建立」としるされている。この機縁で神功皇后を相殿にお祀りしたと伝えている。
『三代実録』によると元慶元年(877年)の項に「筑前國 正六位高礒比賣神に従五位下を授く」と記されているのが髙祖神社のこととされていることから、1100年を超える悠久の歴史 を有し、かつての伊都国の総鎮守(のち怡土庄一の宮)として数多くの崇敬を集め今日に至っている。
▼高祖神社・由来説明板
◆高祖神社・由来
【御祭神】 彦火々出見尊、玉依姫命、息長足比女命
【由緒】
高祖神社は彦火々出見尊を主座に、左座に玉依姫命、右座に息長足比女命の三柱をお祀りする神社で、いま創建の時を詳かに出来ないが、九州諸将軍記には「神代より鎮座あり神功皇后、三韓より凱旋の後、当社の社殿を乾の方に向け御建立」と記されている。この機縁で神功皇后を相殿にお祀りしたと伝えている。
当社は、古代から怡土郡の惣社(中世には怡土庄一の宮)と崇敬される神社で、三代実録には、いまから千百五年前の元慶元年九月二十五日発亥「正六位高礒比賣神に従五位下を授く」と記されている。この高礒比売神とは高祖神社のことで、相殿に玉依姫命、息長足比売命をお祀りしてあるので、このように呼ばれたと語り伝えている。
明治五年十一月怡土郡郷社、大正四年十一月神饌幣帛料供進社、大正十五年六月二十九日県社昇格、昭和二十八年七月二十日、域外境内社としてクヌギ幸神社、庚申社、浦方天神社を含め宗教法人高祖神社を設立し、地元の人々の崇敬を集めている。また境内神社として伊弉諾神社・思兼神社・農業、特に畜産農家の信仰厚い徳満神社の三社がある。
高祖神楽は今から五百十五年前の応仁元年、戦国動乱の時代、時の高祖城主、原田筑前守種親が盟主である周防国山口城主、大内政弘の要請を受けて京都守護の大任に当った時、戦陣のつれづれに習得した「京の能神楽」を郷土に伝えたものとされていますが、この外にも異説があり、その始めは定かではありません。
永い歴史と伝統に受け継がれて来た高祖神楽は、江戸時代までは旧怡土郡の神職の奉仕で舞われていましたが、明治になってからは高祖神社の氏子の人たちによって受け継がれ、現在は十三人の氏子の神楽師の奉仕で、毎年春の祈年祭、四月二十六日午後一時ごろから夕方まで高祖神社境内の特設舞台で舞われています。
その真価は、昭和四十六年五月十九日には前原町指定民俗文化財、昭和五十六年三月五日には福岡県無形民俗文化財の指定を受けている格調高い郷土芸能であります。
(「高祖神社公式サイト」より)
◆◆高祖神社・参道
この参道、お気に入りです。
▼一の注連柱が見えてきた。
◆一の注連柱
▼一の注連柱と参道
▼一の鳥居が見えてきた
▼参道と一の鳥居
◆一の鳥居
▼二の注連柱が見えてきた。
◆二の注連柱
▼二の注連柱
▼境内入口が近い・・・
▼最後の石段と大鳥居
◆大鳥居・・石造明神鳥居
元禄六年(1693年)に福岡藩四代播主黒田綱政公から大鳥居の寄進があり、境内入口に建立
▼大鳥居の「高祖宮」の扁額
◆◆高祖神社・境内
▼高祖神楽の説明板
◆高祖神楽
高祖神楽は今から550年前の応仁元年、高祖城主、原田筑前守種親が京都守護に当った時、戦陣のつれづれに習得した「京の能神楽」を郷土に伝えたものとされています。
永い歴史と伝統に受け継がれて来た高祖神楽は、江戸時代までは旧怡土郡の神職の奉仕で舞われていましたが、明治になってからは高祖神社の氏子の人たちによって受け継がれ、 現在は氏子の神楽師の奉仕で、春と秋の年二回、高祖神社境内の神楽殿で奉納されています。
昭和46年5月19日には前原町指定民俗文化財、昭和56年3月5日には福岡県無形民俗文化財の指定を受けています。
(「高祖神社公式サイト」より)
▼境内と平成元年3月に落成した神楽殿
▼神楽殿での高祖神楽・・「高祖神社公式サイト」より拝借
▼手水鉢
▼ユニークな円形の「高祖宮」の社号標
▼石段と拝殿
▼石段と拝殿
▼石段と拝殿前の注連柱
▼注連柱と拝殿
▼拝殿前の阿形の狛犬
▼拝殿前の吽形の狛犬
▼手水舎
◆◇◆高祖神社・拝殿
拝殿・・正面三間、側面三間 入母屋造
享保16年(1731年)拝殿建立
【御祭神】 彦火々出見尊、玉依姫命、息長足比女命
▼高祖神社・拝殿
▼高祖神社・拝殿
▼拝殿の「高祖宮」の扁額
◆拝殿・内部
拝殿内には多くの古い奉納絵馬が飾られている。
▼「欣仁尚義」の額
▼高祖神社・拝殿
▼拝殿前の注連柱から眺めた境内
◆高祖神社・本殿
本殿・・三間社流造、檜皮葺
永正四年(1507年)当時の高祖城主原田興種公によって現在地へ遷宮され、その後、天文10 年(1541年)、元亀3年(1572年) にそれぞれ高祖城主原田隆種公、原田親種公によって修理がおこなわれ、特に寛文2年(1662年)には時の福岡藩三代藩主黒田光之公によって再建されております。
現存する本殿は、三間社流造の桧皮葺でありますが、約350年前の姿をほとんど留めていることから、福岡県下でも数少ない 極めて貴重な建造物として学者研究者等の高い評価を得ております。
(「高祖神社公式サイト」より)
▼修善工事中の高祖神社・本殿
▼高祖神社・本殿 「高祖神社公式サイト」より拝借
◆◆高祖神社の社叢の緑
◆徳満神社
徳満宮は高祖神社参道の脇にある。
昔から牛馬の神様として、近年はペットの守り神として崇められている。
祭神は大名持神 少彦名神 保食神。 (例祭日・九月十三日)
▼徳満神社
▼徳満神社
◆高祖神社の白梅