雲仙温泉、雲仙地獄、温泉神社
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2016年1月9日(土) 長崎県雲仙市小浜町雲仙
◆雲仙への道
▼愛野展望台
雲仙市の入口、愛野町の国道57号沿いにある展望スポット。
眼下には波穏やかな橘湾が広がり、南東には雲仙岳が確認でき、美しい景色を一望できる。
物産所やレストランもあり、観光スポットとして充実している。
「天皇陛下御展望の地」という立札が立っており、 昭和天皇が3回来られた場所らしい。
▼千々石ミゲル生誕の地
千々石(チジワ)ミゲルは天正遣欧少年使節の正使の一人。
有馬氏の一族で、千々石釜蓋城主千々石大和守直員の子とされ、 有馬晴信の従兄弟、大村純忠の甥、と伝わる。
永禄12年(1569)頃、千々石に生まれる。 現在の雲仙市千々石町の出身。
天正5年(1577)12月、釜蓋城が龍造寺に攻められ落城、乳母と共に大村へのがれる。
天正8年(1580)、バァリニャーノ神父により受洗、 同年8月有馬に開校したキリスト教神学校(セミナリヨ)の第一期生となる。
天正10年(1582)、九州三大名が派遣した天正遣欧少年使節の有馬・大村氏の正使としてポルトガル船で長崎港からローマへ旅立つ。
▼山道の坂を上っていく・・・
◆雲仙温泉街
島原半島中央にそびえる雲仙岳一帯は、日本初の国立公園に指定された温泉保養地。硫黄のにおいと水蒸気に包まれた大小30からなる雲仙地獄はキリシタン殉教の舞台になった所でも知られており、哀しい歴史と悲話が今に残る。 平成2年に噴火した「平成新山」を近くに眺め、春はミヤマキリシマを楽しむことができる。
幕末には吉田松陰が当地を訪れた。またシーボルトらにより海外へも紹介された。
明治・大正期には上海租界の欧米人の保養地として繁栄した。当時、長崎は上海の蒸気船などに対する石炭供給地であり、雲仙温泉及びふもとの小浜温泉とともに上海租界の後背地を形成していたのである。なお、ノーベル文学賞のパール・S・バックやヘレン・ケラーも一時滞在している。外国人客が多く訪れていたことを受けて、昭和初期に外国人向け洋式ホテル雲仙観光ホテルが建設された。
▼九州ホテル
▼雲仙みかどホテル
▼雲仙温泉観光協会
▼雲仙ビードロ美術館
▼Police Box
▼雲仙観光ホテル
▼福田屋
▼富貴屋
▼雲仙きのこ本舗「雲か山か」
▼「湯せんべい」の遠江屋本舗
◆温泉神社(うんぜん じんじゃ)
雲仙においては、大宝元年(701年)(もしくは文武天皇元年(697年))に当地を訪れた行基が大乗院満明寺を開山し、同時に当神社を創祀したと伝えられる。以後、雲仙岳を霊山として信仰し、当神社からふもとの諸村に温泉神社(四面宮)を勧請、当初は千々石、吾妻、有家、そして伊佐早(現諫早神社)の4か所であったが、その後も広がり現在では島原半島内には温泉神社を称する神社が十数社ある。
現在の雲仙はもともと「温泉」と書いて「うんぜん」と呼んでいた。当社は沿革上は湯につかる「温泉」とは関連をもたないが、「雲仙神社(うんぜんじんじゃ)」ではなく「温泉神社」と呼ばれている。
◆◆雲仙地獄
雲仙で一番の観光名所といえば、言わずと知れた雲仙地獄。 雲仙の古湯と新湯の間の白い土(温泉余土)におおわれた一帯の事で、 高温の噴気(ガス)や熱水(温泉)が噴出している個所を間近に見る事が出来る散策道が整備されている。 その中に大小さまざまな30程度の地獄があり、名前が付けられている。 雲仙地獄の入口は大まかに4ヶ所ある。 これだけ広大な場所に案内板や遊歩道など整備が整っているのに、地獄の入場は無料なのがうれしい。
キリシタンが厳しい弾圧を受けていたころ、幕府は改宗を迫る手段として、 温泉の熱湯をかけるというひどい仕打ちを行っていた。
寛永4年(1627年)からの7年間にこの地で殉教していった人は33名といわれている。
この地獄を見下ろす丘の上に建っている十字架は、今なお殉教の信徒をたたえている。
【キリシタン迫害の歴史】
1625年(寛永2年)に松倉文後守重政が、徳川幕府の命令によりキリスト教徒を迫害して、教徒10人を温泉火口に投じたと伝えられている。
1627年、キリスト教徒に対する弾圧はさらに厳しくなり、1630年までに「山入り」と称してキリシタンを温泉に送って「熱さ責め」をして改宗を迫ったという。
1637年、島原の乱が起こり、12月3日に天草四郎が兵士23800人を引き連れて原城へ入場した。
1638年、2月28日ついに食糧や弾薬尽き陥落した。老若男女約35000人全員が亡くなった。
▼お糸地獄
その昔、島原城下で、たいへん裕福な生活をしていたのに密通をしたあげく、 夫を殺してしまったお糸という女がいました。
お糸が処刑されたころにこの地獄が噴出したので、 「家庭を乱すと地獄に落ちるぞ」という戒めを込めてこの名前がつけられたと云われます。 【現地案内板より】
お糸地獄は比較的新しい地獄で、湯だまりがあり、今も活発にブクブクと熱湯が湧き上がっているのが見える。
お糸地獄の横からは上り坂になっており、上って行くと東屋のある展望休憩所がある。 お糸地獄の近くには温泉玉子などを販売する売店があり、 坂の途中に大きな岩・真知子岩 がある。
▼真知子岩
劇作家菊田一夫が書いたラジオドラマ“君の名は”は昭和27年から2年にわたって全国に大ヒット。この時のロケ記念碑。
昭和29年に映画「君の名は」のロケが雲仙で行われ、佐田啓二、岸恵子が雲仙を訪れた。 この真知子岩は、ヒロイン真知子を演じる岸恵子が手を付いた岩だそうだ。
冒頭で使われた 「忘却とは忘れ去ることなり 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という有名な言葉が刻まれている。
松竹映画『君の名は』(1953年 - 1954年、全三部)のロケ地として、雲仙地獄が撮影され、その際、氏家真知子役の岸惠子があまりの寒さにショールで耳や頭をくるんだことから、「真知子巻き」の流行も生まれた。
▼大叫喚地獄
現在、最も活発な噴気活動をしているのがこの一帯で、大叫喚地獄と言います。 雲仙地獄の一番高い位置にあって、白い噴気は30~40mにも上がります。 ゴウゴウという噴気音が、地獄に落ちていく亡者の絶叫のようにも聞こえ、この名前が付きました。
噴気は120度もの高温の水蒸気で、硫化水素ガスを含み、強い硫黄の臭いを漂わせています。 【現地案内板より】
▼邪見地獄
邪見というのは、人を妬む、醜い心の事です。 この温泉のお湯を飲むと、夫婦や友達の間で生じた、嫉妬心による不和を解消すると言われています。
ところが実際には強酸性の温泉で、とても飲めるような物ではありません。きっと、邪見を捨てる場所という事なのでしょう。 【現地案内板より】
◆福田屋の温泉に入浴
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◆雲仙きのこ本舗「雲か山か」
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