篠栗四国八十八箇所霊場 第58番札所 【大久保観音堂】
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第8回目の篠栗巡拝のレポートです。
2012年の11月の巡拝以来、4年ぶりに篠栗巡拝を再開した。
【2016年5月2日(月)】
「篠栗四国八十八箇所霊場巡り」
88番大久保薬師堂、58番大久保観音堂、6番小浦薬師堂、11番山手薬師堂、77番山王薬師堂、67番山王薬師堂、17番山手薬師堂、57番田ノ浦栄福堂、30番田ノ浦斐玉堂、7番田ノ浦阿弥陀堂、80番田ノ浦観音堂、59番田ノ浦薬師堂の12札所を参拝。計57札所を参拝。
今回は第58番大久保観音堂の紹介です。
◆◆第58番札所 【大久保観音堂】
88番大久保薬師堂から約50mの所にある。
ここの守堂者・・・桐生家は、平家落ち武者の子孫と伝えられている。
宮崎県椎葉村、熊本県五木村など、源氏の追討を逃れ、山間僻地に逃れた平氏だが、ここでも伊達七郎左衛門は、母方の桐生の姓を名乗り生き伸びたという。
◆九州の平家の落人伝説
◆平家の落人伝説が残る!全国各地の平家秘境スポット12選
▼第58番札所に到着。
◆大久保観音堂・本堂
◆御本尊:千手観世音菩薩
ご本尊は四国58番仙遊寺から勧請した千手観世音菩薩
本尊の千手観世音は大正15年(1926年)、仏師小川静雲作の木彫金箔。
千手観世音は、「十一面千手観音」、「千手千眼(せんげん)観音」など様々な呼び方がある。「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。
千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。
観音菩薩が千の手を得た謂われとして、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。この経の中に置かれた大悲心陀羅尼は現在でも中国や日本の天台宗、禅宗寺院で読誦されている。六観音の一尊としては、六道のうち餓鬼道を摂化するという。また地獄の苦悩を済度するともいい、一切衆生を済度するに、無礙の大用あることを表して諸願成就・産生平穏を司るという。
密教の曼荼羅では観音像は「蓮華部」に分類されている。千手観音を「蓮華王」とも称するのは観音の王であるとの意味で、蓮華王院(京都の三十三間堂の正式名称)の名はこれに由来する。
千手観音の造像例は、インドにはほとんど知られないが、中国では唐代の龍門石窟などに遺例がある。日本での千手観音信仰の開始は古く、空海が正純密教を伝える以前、奈良時代から造像が行われていた。東大寺には天平年間に千手堂が建てられたことが知られ、同寺の今はない講堂にも千手観音像が安置されていた。日本における現存作例では、8世紀半ばの制作とされる葛井寺像が最古とされ、唐招提寺像も8世紀末~9世紀初頭の作品である。和歌山・道成寺の秘仏北向本尊像の胎内からは大破した千手観音像が発見されているが、これは道成寺草創期の本尊と思われ、奈良時代に遡るものである。
その他、千手観音をまつる著名寺院としては、清水寺、三十三間堂、西国札所の粉河寺などがある。京都・清水寺本尊(立像)は、33年に一度開扉の秘仏で、42本の手のうちの2本を頭上に挙げて組み合わせる独特の形をもち、「清水型」といわれている。同じ清水寺の奥之院本尊の秘仏千手観音像は珍しく27面をもつ坐像である。
▼掲額されていた「八大龍王」と「昇龍」の墨絵
▼普賢菩薩
普賢菩薩は、文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍として祀られることが多い。法要では四七日の仏とされる。
梵名のサマンタ・バドラとは「普く賢い者」の意味であり、彼が世界にあまねく現れ仏の慈悲と理知を顕して人々を救う賢者である事を意味する。また、女人成仏を説く法華経に登場することから、特に女性の信仰を集めた。密教では菩提心(真理を究めて悟りを求めようという心)の象徴とされ、同じ性格を持つ金剛薩埵と同一視される。そのため普賢菩薩はしばしば金剛薩埵の別名でもある金剛手菩薩(こんごうしゅぼさつ)とも呼ばれる。
▼十三仏
これから6番小浦薬師堂へ・・・