トルクメニスタンの旅(21) マリィからウズベキスタンのブハラへ移動
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2017年5月3日(水)
旅の6日目
アムダリア川を越えてウズベキスタンに入りブハラへ移動。
▼マリィからトルクメンアバードへ。そして国境を越えウズベキスタンのブハラへ
◆マリィのホテルの朝
今日の出発は8時40分。余裕があるので、ホテルの部屋からマリィの風景を撮る。
◆マリイから国境の街トルクメンアバードまで移動
マリィを出発し、トルクメンアバードまで250kmをバスで移動。
◆カラクム砂漠とカラクム運河
カラクム砂漠(Kara kumはテュルク系の言語で『黒い砂』を意味する)は、中央アジアのトルクメニスタンに存在する砂漠である。面積は350,000 km²で、同国の国土の約70%を占める。「死の砂漠」の別名を持つことでも知られている。
西はカスピ海、北はアラル海とトゥラン低地、北東にはアムダリア川とキジルクム砂漠がある。
牧畜地帯だが、アムダリヤ川からのカラクム運河によって灌漑農業も発達している。
マリィ周辺は綿花の畑が広がっている。桑や小麦も作られている。
カラクム運河はアフガニスタンとの国境付近からマリィとアシハバードを通過してカスピ海沿岸のトルクメンバシまで東西に伸びている。1400kmの長さをもつこの運河は農地開拓のために造られた「世界最大の用水路」でこの国の経済を支えてきた。
その一方でアムダリア川は水が不足してアラル海に水を提供しなくなり、地下水は行き場を失くし塩分とともに地上に浮上して土地を荒らし、砂漠が広がっているという。
トルクメニスタン政府は無償でガスを国民に提供しているため、人々は昔のように薪を砂漠に採りに行かなくても火をおこせるようになり、そのため砂漠のラクダ草、サクサウールなどが再び豊かに茂るようになり、また近年、政府が植林にも力を入れるようになったため急激な砂漠化はくいとめられている。
▼カラクム砂漠とカラクム運河の地図
▼マリィからトルクメンアバードへ
カラクム砂漠を横断して走る。
▼貨物鉄道
道路の横に鉄道が走っているが、現在は貨物のみで旅客列車は走っていない。
アフガニスタン、イラン、ウズベキスタンにも繋がっているらしい。
▼アムダリア川を越える
アムダリヤ川は、パミール高原・ヒンドゥークシュ山脈から発するパンジ川とヴァクシュ川が合流し、北西へ向かって流れる。元々はアラル海に注いでいたが、現在は河口部ではほぼ干上がっている。延長2574km、全長1415km。
◆トルクメンアバードに到着
12時30分頃、レバブ州の州都のトルクメンアバードに到着。
ロシア帝国が南下政策をとっていた1886年カスピ海横断鉄道建設で造られた。ソ連時代はチャルジュウと呼ばれていた。
トルクメニスタン独立後トルクメンアバードに改称。人口は周辺も併せて約30万人。
◆レストランBereketlで昼食
トルクメンアバードのレストランBereketlにてランチ。
サラダ、チキンスープ、ビーフ料理、アイスクリーム
◆◆国境を越え、ウズベキスタンへ入国
14時30分ファラップ国境のトルクメニスタン側に到着。約1時間で通過。
乗り合いタクシーにに乗ってウズベキスタン側へ。
16時20分、無事ウズベキスタンへ入国。
◆ウズベキスタンのブハラへ
◆ブハラのホテル・マリカに到着
ブハラは10年前に訪問して以来の再訪、好きな雰囲気の街の1つ
ホテルも同じマリカホテル
◆マリカホテルのレストランで夕食
▼マリカホテルの中庭
◆夜のブハラ散策
▼カラーンモスク
▼カラーンモスクのミナレット
▼カラーンモスクの内部
閉館の時間だといわれたが、写真を1枚だけ撮らせてもらった。
▼閉館後のカラーン・モスク
▼マリカ・ホテルへの道を教えてくれたお兄ちゃんとその妹
▼国境の入国手続きの時に一緒に並んだオランダ人の夫婦に偶然出会った。
彼らはキャンピング・カーでウズベキスタンまできていた。
▼迷いながらもマリカ・ホテルに無事帰着
▼やはり最後はホテルの中庭でウオッカとなった。いい気分!