ユーラシア大陸横断 シベリア横断 (22) ノボシビルスクからクイビシェフへ
|
・・・・・・・< シベリア横断編 Ⅱ>・・・・・・・・・・・・・・・・・
■7月11日 イルクーツク出発 →サヤンスク (化学工業都市) 到着 260km
(半休養日) バイク整備
■7月12日 サヤンスク出発 → タイシェット 到着 413km
■7月13日 タイシェット出発 → エニセイ河畔のクラスノヤリスク(100万都市)到着 400km
■7月14日 クラスノヤリスク出発 → マイリンスク到着 360km 夕立・雨
■7月15日 マイリンスク出発 → オビ河畔のノボシビルスク(100万都市)到着 420km
夜の部 酒(ウオッカ)とビリヤード
■7月16日 ノボシビルスク出発 → クイビシェフ 到着 340km
バイクでシベリア横断中の吉田滋さんと遭遇
■7月17日 クイビシェフ出発 → オムスク 到着 380km 快晴の天気 気分も快調
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■ ユーラシア大陸横断 シベリア横断編 (22) ノボシビルスクからクイビシェフへ
◆ ヨーロッパからユーラシア大陸を横断してきた吉田滋さんと遭遇。
▲ 悠然と現れた吉田滋さん いい顔されてますね。
▼ 賀曽利さんの「まぐまぐカソリング」より・・・・・
「 シベリア最大の大河、オビ川に面したノボシビルスクからはウラル山脈の麓の町、チェラビンスクを目指した。その間は6日かかった。ノボシビルスクを出発した日は、国道沿いのパーキングエリアでいつものようにブルーシートを広げて昼食にした。そのとき、ウラジオストック方向から来たヤマハの1300ccバイクのロイヤルスターが停まった。
シベリア横断中の吉田滋さんだった。なんという偶然……。吉田さんは1966年から1968年にかけてヤマハのYDSで「世界一周」した人。そのときぼくは20歳で「アフリカ一周」に出発する直前だった。20以上もの質問事項をノートに書いて、それを持って帰国早々の吉田さんにお会いした。吉田さんはていねいにひとつづつの質問に答えてくれた。当時はバイクでの海外ツーリングは皆無に近かった時代だった。吉田さんに教えてもらったことは「アフリカ一周」でどれだけ役に立ったことか。吉田さんは30数年も前のそんなぼくとの出会いをおぼえていてくれた。
吉田さんは大学を卒業するのと同時に「世界一周」に旅立ち、3年あまりの旅を終えるとすぐにヤマハに入社した。ヤマハ一筋で、定年退職すると、今回の「シベリア横断」ルートでの「世界一周」に旅立ったのだ。ウラジオストックを出発点にしてシベリアを横断し、モスクワからはサンクトペテルブルグへ、そしてフィンランドのヘルシンキに向かうという。
吉田さんは30数年前の「世界一周」のときにヘルシンキまで行ったが、モスクワまで走ることができずにずいぶんと悔しい思いをした。その悔しさを30数年後になってはらそうとしているのだ。吉田さんはヨーロッパからアメリカに渡り、2度目の「世界一周」を達成させたいという。20代のときの「世界一周」と60代になってからの「世界一周」……。そんな吉田さんとは固い握手をかわして別れた。」
◆ 賀曽利さんと吉田さんの固い握手
▼掛下さん
▼吉田さんのROYALSTAR1300の前のヤスコヴィッチ
◆ ユーラシア軍団の夕食風景 (ノボシビルスク)