ロマノフ王朝/ ニコライ2世一家
|
<ロシアのロマノフ王朝最期の皇帝ニコライ二世と家族>
皇帝ニコライ二世とアレキサンドラ皇后、アレキセイ皇太子と第一皇女オルガ、第二皇女タチアナ、第三皇女マリアおよび第四皇女アナスタシアの7人は、皇帝の退位(1917年)と共にソ連政府に拘束される。 写真はこの少し前の一家の家族写真である。
ロシア革命の内戦の混乱のなか皇帝一家は転々と移送され、シベリアの手前ウラル山麓のエカテリンブルグに達する。同地の商人イパチェフの家に幽閉されるが、1918年7月18日を境として一家の消息は途絶える。当時皇帝一家の殺害の噂やシベリア逃亡説が流れた。だが実際はエカテリンブルグで処刑と言う名の虐殺が行われていた。
<第四皇女アナスタシア>
エカテリンブルグの惨劇のあと、1921年にベルリンの一人の精神病院の患者が、充分な記憶が回復しないものの、自分は生き残ったアナスタシア・ロマノフだと主張する。皇女アナスタシアが青い目の利発で可憐な美少女、噂の惨劇の犠牲者、華麗な宮廷世界の貴人、ロマノフ家の生き残りであれば莫大な海外遺産の相続者、ソ連体制への批判、それに外交問題も絡んで、世界中に興味津々の話題を提供し、アナスタシア物語の映画もできる。
(写真はすべてLivadia Palaceのポストカード)