イスラエル紀行(66) さよならイスラエル総集編
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イスラエルの総集編としてハイライトの写真で旅を整理してみることにしました。
☆各写真の説明は追々気まぐれに加筆していく予定。
▼テルアビブ
テル・アビブとはヘブライ語で「春の丘」を意味し、シオニズム国家を夢見たテオドール・ヘルツルの小説の中からとった名称である。イスラエル最大の都市。
▼カイザリア
カイザリアは、テルアビブの北方約40kmのところにある地中海に面した遺跡都市である。
紀元前2世紀頃には「ストラトンの塔」と呼ばれるフェニキア人の小さな港だった。
キリスト教史上ではペテロやパウロがローマ宣教に旅立った地として知られている。
▼アッコー
アッコーは、4000年の歴史をもつ港町。紀元前20世紀には、町として機能していたという。
地中海の良港を持つ魅力的な町としてフェニキア人、アッシリア、アレキサンダー大王、そしてエジプトや十字軍、マムルーク朝、オスマン朝など、数多くの覇者がこの町を支配した。
アッコー旧市街は2001年に世界遺産に登録された。
▼ガリラヤ湖
ガリラヤ湖は、イスラエル国内最大の湖。周囲53km、南北に21km、東西に13kmの大きさであり、166k㎡の面積を持つ。最大深度は48m。海抜-213mで、湖としては死海につぐ海抜の低さを誇る。ローマ帝国統治時代に用いられた呼び名に由来する「ティベリアス湖」とも呼ばれる。イエス・キリストゆかりの場所としても有名。
▼垂訓の丘の山上の垂訓教会
【 イエスの山上の垂訓 】
イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。
● 心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
● 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。
● 柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
● 義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。
● 憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。
● 心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。
● 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。
● 義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
▼カペナウムの聖ペテロの家教会
カトリックの初代ローマ教皇とされるペテロはガリラヤ湖の漁師だった。
イエスの第一の弟子で、「天の国の鍵」をイエスから受け取った。ペトロが与えられたその権威をローマ司教としてのローマ教皇が継承してきた。
ローマ法王(教皇)は、全世界で11億人を超える信者を誇るローマ・カトリック教会の最高指導者である。現ローマ法王は、第265代目のベネジクト16世である。
▼パンと魚の奇跡の教会の祭壇
イエスが、5つのパンと2匹の魚を祝福して増やし5千人を満腹させたという奇跡を記念して、5世紀頃に建てられたベネディクト派修道会の教会。
▼ナザレの受胎告知教会
326年コンスタンチヌス大帝の母ヘレナの頼みにより、マリアの家の跡とされる場所に築かれた教会で、中東最大のキリスト教会。
受胎告知教会の建物正面には福音書の作者とされるマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4人のレリーフが彫られている。
▼ゴラン高原のバニアス国立公園
ヘルモン山(2814m)の雪解け水が地中深く流れて、山麓のゴラン高原のバニアスにも清水となって湧き出す。バニアスは、レバノンとの国境線まで約5km、シリアとの国境線まで約10kmのところに位置している。ここから流れ出す水は、ガリラヤ湖へ、さらにはヨルダン川を流れて死海へと注ぐ。
▼世界遺産の都市遺跡ハツォール
聖書時代のテル(遺跡丘群)としてメギッド、ハツォール、ベエル・シェバの遺跡が、2005年に世界文化遺産に登録された。
テルとは遺跡丘を意味し、先史時代の住居跡や都市遺跡などが何層にも重なった丘を指す。「ヨシュア記」に出てくるハツォールはガリラヤ湖の北側にある。テル・アル・カダフとも呼ばれている遺跡で、その歴史は青銅器時代にまでさかのぼる。
▼世界遺産の都市遺跡メギド
メギドは、イスラエル北部、エズレル平原の西端に位 置する遺跡丘(テル)。新約聖書の黙示録に、最終戦争が行われる場所としてハルマゲドン(ヘブライ語でメギドの丘)として記述されている。紀元前2000年代にはカナン人の都市として、また紀元前1000年ごろにはソロモン王の重要な都市としてメギドが登場する。
メギドのテルはイスラエルでも最大級で、聖書時代のテル(遺跡丘群)として、ハツォール、ベエル・シェバの遺跡とともに、2005年に世界文化遺産に登録された。
▼エズレル平野
エズレル平野は、北はガリラヤ山地、南はギルボア山、東はハイファまで広がるイスラエル最大の平野である。エズレルという言葉はヘブライ語の「イズ・ラエル」(神、蒔き給ふ)に由来し、古代からイスラエル民族にとって重要な戦いの舞台になった場所で、旧約聖書にも記された遺跡が散在する。
このエズレル平野の東の基点となる町がベトシェアンである。
▼都市遺跡ベイト・シェアンのローマ時代の円形劇場
この劇場の収容人数は8000人規模で、イスラエルに残る最大の円形劇場。
ベトシェアンは現在も発掘が続いている遺跡群で、ガリラヤ湖から約30km南に位置する。
もっとも古い遺構は紀元前5000年頃のものと考えられており、紀元前19世紀頃のエジプトの文書にもその名が記されている。
水に恵まれた肥沃な土地で、エジプトに通じる隊商の通る道の途中にあり、古代から軍事、経済上、重要な拠点であった。
▼死海写本のクムラン遺跡
クムランに人が住み始めたのが紀元前8世紀ころ。紀元2世紀の終わりには、クムラン教団(エッセネ派)とよばれるユダヤ教の伝統や習慣を重んじた宗教団体が禁欲的な共同生活をしていたという。
1947年、近くを歩いていたベドウィンの少年が、クムランの洞窟で土器に入った巻物を発見。
これが有名な『死海写本』の発見である。
壷に納められた600を超える巻物『死海写本』は、イザヤ書全巻や詩篇を含む旧約聖書や創世記外典などの外典文書、ユダヤ経典のテキストなどが記されていた。
古ヘブライ語、ギリシャ語、アラム語で書かれた巻物は、紀元前2世紀のものと考えられ、20世紀最大の考古学的発見とされた。
『死海写本』は現在エルサレムのイスラエル博物館にある死海写本館に展示されている。
▼世界遺産・マサダの要塞
過酷なローマ帝国の支配に耐えかねたユダヤ人は、紀元66年に大反乱を起こした。時のローマ皇帝ネロは軍を派遣し、激しい戦いが繰り広げられた。紀元70年にはエルサレムが陥落し、ユダヤ人の聖地である神殿も唯一西側の城壁を残し破壊された。唯一残った西側の城壁が「西の壁」あるいは「嘆きの壁」と呼ばれる今日のユダヤ人の最も聖なる場所である。
紀元70年にエルサレムが陥落してから3年の間、ユダヤ人1000人あまりが死海のほとりの周囲を断崖絶壁に囲まれた地上400mの岩山に築かれた要塞に立てこもり、ローマ支配に抵抗し続けた。しかし紀元73年ローマ軍一万人に囲まれ、「異教徒の辱めを受けることを潔しとせず」として、籠城していたほぼ全員が自決した。これがマサダ要塞の悲劇である。
またイスラエル軍の入隊式はこの地で行われ、「マサダの悲劇を二度と繰り返すな」という入隊の宣誓をするそうである。
▼死海リゾート エン・ボケック
海水の塩分濃度が約3%であるのに対し、死海は30%の濃度を有する。この濃い塩分濃度のため浮力が大きく、人が死海に入って沈むことは極めて困難である。また当然ながら、生物の生息には不向きな環境であるため、湧水の発生する1ヶ所を除き、魚類の生息は確認されていない。死海という名称の由来もここにある。
▼テイムナ渓谷国立公園のソロモンの柱
ティムナ渓谷はエイラットの北約30kmの位置にある。自然の浸食作用でできた奇岩ソロモンの柱、マシュルーム岩、アーチ岩、古代エジプトの神殿跡などが広大な砂漠に散在していて、国立公園になっている。
▼アカバ湾のエイラット①
中心部から7km南のコーラル・ビーチには海中展望台や水族館、潜水艦イエロー・サブマリン、ヴァーチャル映像が楽しめるオセアナリウムなどの施設がある。
紅海に面し水温が20℃以下にならず、世界でも有数の透明度を誇り、珊瑚の生息に適していて、North BeachやCoral Beachなど世界的に有名なダイビングスポットがあり、ダイバー憧れの地でもある。
▼アカバ湾のエイラット②
イスラエル最南端の地エイラットは、ソロモン王の時代には各国との交易で栄え、シバの女王を迎えた港としても有名。現在は免税都市で付加価値税が免除され、外国資本のホテルが立ち並ぶイスラエル最大のリゾート地となっている。
▼ネゲブ砂漠
▼ネゲブ砂漠のラモン渓谷
▼ナバテイア人の隊商都市遺跡アブダッドの渓谷
▼預言者アブラハムゆかりの町ベエル・シェバ
▼エルサレム オリーブ山からの眺め
▼ケデロンの谷
▼ゲッセマネの園
▼万国民の教会
▼マリア永眠教会
▼鶏鳴教会
▼嘆きの壁
▼西の壁のトンネル
▼悲しみの道①
▼悲しみの道②
▼聖墳墓教会
▼ダビデの塔
▼エルサレム①
▼エルサレム②
▼最後にイスラエル紀行完結ということで、ワインとウオッカで乾杯!