デンマーク (13) コペンハーゲン大学と聖母教会
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デンマーク 2007年7月25日コペンハーゲン観光
コペンハーゲン大学と聖母教会
コペンハーゲン大学と聖母教会を散策する。
◆◆コペンハーゲン大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コペンハーゲン大学(University of Copenhagen)はデンマークのコペンハーゲンにある大学。同国で一番歴史があり、また最大規模の大学である。学生数は37,000人あまり、女性が59%を占め、教職員は7000人を越える。キャンパスはコペンハーゲン周辺に複数存在し、コペンハーゲンの中央部に最も古いキャンパスがある。大部分の授業はデンマーク語で教えられているが、英語やドイツ語での授業も増えつつある。


1479年にデンマークで最初の大学として設立され、カトリック教会の神学教育の中心となったほか、法学、医学、哲学の教育機関として機能した。コペンハーゲン大学は1536年にルンドのストゥディウム・ジェネラーレが閉鎖されてから1920年代後半にオーフス大学ができるまでデンマークにおける唯一の大学だった。宗教改革運動の影響によりコペンハーゲン大学は1537年に福音・ルター派の神学校となった。

ネルソン提督率いるイギリス艦隊が1801年にコペンハーゲンを攻撃した際に、大学の施設はほとんどが破壊されたが、19世紀半ばごろまでに主だった建物は再建され、動物学・地質学博物館など多くの施設が新たに作られた。また、この期間に様々な学部の再構成も行われた。1877年にはデンマーク大学で最初の女性の学生が入学している。

1960年から1980年にかけてデンマーク大学の学生数は約6千人から約2万6千人へと大きく増加し、教員など大学スタッフの数もそれにあわせて大きく増加した。1970年にはデンマーク内のほかの高等教育機関に先駆けて大学の運営が民主化され、1990年代前半の大学改革によって学士号の取得がほとんどの分野で必須となった。

▼ニールス・ボーアの像

【ニールス・ボーア】
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コペンハーゲンに生まれ、1903年にコペンハーゲン大学に入学。1911年にイギリスへ留学、キャヴェンディッシュ研究所のジョゼフ・ジョン・トムソンのもとでの研究後、1911年にマンチェスター大学のアーネスト・ラザフォードの元で原子模型の研究に着手した。コペンハーゲン大学に戻り、マックス・プランクの量子仮説をラザフォードの原子模型に適用して、1913年にボーアの原子模型を確立した。1921年にコペンハーゲンに理論物理学研究所を開き、外国から多くの物理学者を招いてコペンハーゲン学派を成することになる。原子物理学への貢献により1922年にノーベル物理学賞を受賞。
その後も、ヴェルナー・ハイゼンベルクらの後進とともに、量子力学(行列力学)の形成を推進。エルヴィン・シュレーディンガーが波動力学を発表したときには、コペンハーゲンに招きよせ、討論に疲弊して倒れたシュレーディンガーの病床で議論を続けたことは有名である。アルベルト・アインシュタインが量子力学に反対するようになると、尊敬するアインシュタインとも論争を続けて説得しようとした。有名なエピソードにマックス・ボルン宛にアインシュタインが書いた手紙("Der Alte würfelt nicht."神はサイコロを振らない)に反論した名言("Einstein, schreiben Sie Gott nicht vor, was er zu tun hat."アインシュタインよ、神が何をなさるかなど、注文をつけるべきではない)がある。ボーアは社交的な人柄だったので、多くの物理学者から慕われ、量子力学の形成に指導的役割を果たしたのである。又、彼は実験をせず科学的発見を行ったといわれている。
◆◆聖母教会(Vor Frue Kirke)
聖母教会はコペンハーゲン大学のすぐ隣にある、コペンハーゲンでは最も格式の高い教会でネオクラシック様式の教会。13世紀に建設された。


▼明るくきれいな白基調の聖母教会内部

▼パイプオルガン

▼中央祭壇と明るい天井

▼主祭壇にはデンマークを代表する彫刻家(トーヴァルセン)の作ったキリストの像が置かれ、周りには12使途の大理石像がある。














