スロバキアのブラチスラバ (1)
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2009年3月21日スロバキアの首都ブラチスラバ
ブラチスラバ城と旧市街
◆ウィーン観光のあと、バスでスロバキアの首都ブラチスラバへ。約65km、所要時間約1時間40分。ブラチスラバ城と旧市街を観光。
【スロバキア】スロバキア共和国、通称スロバキアは、中央ヨーロッパの国。首都はブラチスラヴァ。北西にチェコ、北にポーランド、東にウクライナ、南にハンガリー、南西にオーストリアと隣接する。
古代にはサモ王国・モラヴィア王国として独立を保った期間もあったが、この地のスラブ人は1000年間少数民族としてハンガリー王国の支配下にあって、ハンガリーにとっても歴史的に重要な地域であり、多くのハンガリー人の出身地、ハンガリー貴族の発祥地でもある(元来スラブ系で、ハンガリー文化に同化した者も多い)。
第一次世界大戦後オーストリア・ハンガリー帝国からチェコと合併するかたちで独立し、その後幾らかの変遷を経て、1993年1月1日にチェコスロバキアから分離独立し現在に至る。
▼ブラチスラバとドナウ川

【ブラチスラバ】
ブラチスラバ県の南西端に位置し、ドナウ川に面した都市で人口は約43万人。、スロバキアの政治、文化、経済の中心都市。 主権国家の首都としては珍しく市域がハンガリーおよびオーストリアの2か国の国境に接している。
市の歴史は有史以来、スロバキア人のほかケルト人、ローマ人、アヴァール人、ドイツ人、ハンガリー人、ユダヤ人などのさまざまな民族が関与した。
▼ドナウ川にかかる1972年に完成の斜張橋

モラヴィア王国、ハンガリー王国、オーストリア=ハンガリー帝国、チェコスロバキアにおいて経済的・政治的な重要都市とされ、ハンガリー王国首都(1536年 - 1783年)、スロバキア第一共和国首都(1939年 - 1945年)、チェコスロバキア社会主義共和国におけるスロバキア社会主義共和国首都(1969年 - 1990年)、チェコスロバキア連邦共和国におけるスロバキア共和国首都(1990年 - 1992年)となった。

1997年から国際連合開発計画(UNDP)欧州・CIS諸国局本部、2009年から国際連合人口基金(UNFPA)東欧・中央アジア地域事務所本部の各国際機関本部が置かれているほか、万国郵便連合(UPU)欧州委員会が置かれている。

第二次世界大戦まではスロバキア語のほか、ドイツ語、ハンガリー語が一般的に用いられていた。旧市街を中心にブラチスラヴァ城、スロバキア共和国国民議会、聖マルティン教会周辺に多数の旧跡がある。またドナウ川にかかる新橋は、斜張橋の先駆けの一つで1972年に完成。2001年に世界タワー連盟に加盟している。

▼これがブラチスラバ城 改修中で中には入れず。













