ルーマニア(18) “吸血鬼ドラキュラ”のブラン城 (1)
|
ルーマニア2010年9月1日(水)
ブカレスト→シナイア→ブラン城
①ペレシュ城 ②シナイア修道院 ③ブラン城
◆シナイアのペレシュ城とシナイア修道院の観光が終わり、車でブラン城に向かう。
1時間くらい走ったあと、ブラン城近くのPOPASUL REGINEI(女王様の休憩所)というレストランでランチ。
昼食のあと、いよいよ「吸血鬼ドラキュラ」ゆかりのブラン城観光にいく・・・・
▼ブラン城のチケット売り場

▼ブラン城への道をぽれぽれと登っていく・・・・

▼ブラン城はブチェジ山麓のブラン村の山上にあり、周りには緑が多い。

【ブラン城 Bran Castle】
ブラン城は「吸血鬼ドラキュラ」の居城のモデルとなった城で、ブラショフから南西約30kmに位置する。
この場所が、トランシルヴァニアとワラキアを結ぶ山道に面していたことから、オスマン・トルコ軍の攻撃を阻止するため、トランシルヴァニアのザクセン商人達が1377年に完成したと言われている。
14世紀末、“ドラキュラ伯爵”のモデルになったヴラド・ツェペシュ( 串刺し公)の祖父にあたるワラキア公ヴラド一世がここを居城にしたが、“ドラキュラ伯爵”本人は住んだこともなく、この城と関わりは無いらしい。

1920年、ブラショフ市の評議会は、ルーマニア国王フェルディナンド1世の王妃マリアに、1918年の大ルーマニア統一の実現への彼女の貢献に対する感謝のしるしとして、ブラン城を寄進した。 城はマリア王妃によって改修され、その住居となり、ルーマニアの伝統的な家具およびタペストリーなどの装飾品で飾られた。城と装飾品は彼女の娘イレアナ王女(カロル2世の妹)に遺産として残されたが、1948年の王家の国外追放の後、共産主義政権によってルーマニアの国の財産に組み入れられた。

その後、城は、一部を歴史と領主の美術品の博物館として整備され、1956年に一般の見学客に再び公開された。1987年には修復が始まり、工事は1993年に完了した。
2006年、城は、イレアナ王女の実子であり遺産相続人の、ニューヨーク州の建築家ドミニク・フォン・ハプスブルクと、その姉妹に返還された。3年の間、博物館としての用途を変更できないという義務を負った。
2010年9月現在、ルーマニアの人気の観光地の1つである「ブラン城」は、まだ博物館として残っており、観光客の“生き血”を吸って生きている。

▼ブラン城の入り口

▼入り口の扉と顔付きドアノッカー













