ブダペスト(1) 王宮の丘
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2009年3月22日ハンガリーの首都ブダペスト
<王宮の丘>①漁師の砦 ②王宮 ③マーチャーシュ教会
▼王宮の丘へ登る


◆漁師の砦
ドナウ川に面した王宮の丘には、漁夫の砦がある。砦といっても、町の美化計画の一環として、建築家シュレック・フリジェシュにより20世紀初頭に造られたもので、ネオロマネスク様式の7つの塔と回廊から成っている。
漁夫の砦の謂れは、ここには昔、ドナウ川の漁師の組合があって、ブダの丘の市場を守っていたためといわれている。
マーチャーシュ教会の裏手にあるこの砦からは、ドナウ川越しにペスト地区が一望できる。



▼初代国王聖イシュトヴァーン(在位1000~1038年)の騎馬像
イシュトヴァーンは、ハンガリーの首長アールバードの子孫でキリスト教に改宗して、
ローマ教皇から王冠を授かり初代国王になった。


【ブダペスト】
ハンガリーの首都ブダペストの名は、ハンガリー独立のときにブダ地区とペスト地区が統合されたため、ブダペストと呼ばれるようになった。

▼ゲレルトの丘から眺めたドナウ川とブダペスト

歴史的な施設は、ブダ地区に点在している。特にドナウ川から約70mの高さの丘陵地帯は、王宮の丘と呼ばれる。王宮、マーチャーシュ教会、ハンガリー建国の父イシュトヴァーンの騎馬像などが並んでいる。
1987年、「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城」の名の下で、世界遺産(世界文化遺産)に登録された。
▼ ブダ側の漁師の砦から眺めたドナウ川と鎖橋とペストの街

▼ペスト地区にある国会議事堂

▼左にエリザベート橋が見える。・・・・ハプスブルク家の皇妃エリザベート(シシィ)の像が橋のたもとにある。

【ブダ地区】
ブダ (Buda) は、ハンガリーの首都ブダペストの西側部分で、ドナウ川の西岸に位置する。ブダという名称は、フン族の王ブレダの名に由来するが、それは彼の名がハンガリー語でブダだからである。
ブダは、ブダペスト全体の約1/3を占め、その大部分は丘陵である。
王宮の丘(ブダ城)のシンボル的存在が王宮。
◆王宮
この地に初めて王宮が建てられたのは13世紀半ば頃。15世紀のマーチャーシュ1世の時代には、イタリアから呼び寄せられた職人や芸術家によりルネッサンス様式に改築された。しかし、1686年のハプスブルク軍とトルコの戦いにおいて、完全に破壊されてしまう。その後、バロック様式で新たに建てられたものの、大火災や二度の世界大戦で破壊され、現在見られる姿は1950年代に入ってから完成したもの。
内部には国立美術館ほか博物館などが入っている。


▼王宮とユージン・サヴォイ王子の像


正確には、王宮の丘全体を指してヴァール(城、宮殿)と呼ぶらしい。ややこしいですね。
ブダの丘にブダ城が建設され、そのブダ城がハンガリーの王宮となり、王宮のある丘が「王宮の丘」というのかな・・・



◆マーチャーシュ教会
聖母マリアから名付けられたブダの教会は、マーチャーシュ教会として知られている。最初に建てられたのは13世紀半ば。15世紀にマーチャーシュ王が塔を増築している。ブダがトルコ軍に占領された時代には、この教会はイスラム教のモスクに改築されている。その後、キリスト教連合軍がブダを奪還し、この教会は再び聖マリア教会となった。
19世紀、ハプスブルグ帝国・フランツ・ヨーゼフ皇帝とエルジェーベトは、この教会でハンガリー王、王妃となるための戴冠式を行っている。
教会の聖三位一体広場は、広場の中心にある聖三位一体像から名付けられた。
聖三位一体像はペストが終息した年(1679年)に作られている。


▼聖三位一体像














