2011年 01月 10日
シャガール展
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◆シャガール展
福岡市美術館で開催されていた「シャガール・ロシア・アヴァンギャルドとの出会い」展にいってきた。
今日1月10日が最終日だった。
以前シャガールを見たときは、イメージの画家だという印象だったが、今回は色彩の画家だなという印象を強くもった。
マルク・シャガール Marc Chagall 出典『Wikipedia』
帝政ロシア領ヴィテブスクにモイシェ・セガルとして生まれた。ロシア名マルク・ザハロヴィチ・シャガル。故郷ヴィテブスクは人口の大部分をユダヤ人が占めているシュテットルで、シャガール自身もユダヤ系(東欧系ユダヤ人)である。生涯、妻ベラを一途に敬愛していたこと、ベラへの愛や結婚をテーマとした作品を多く製作していることから別名「愛の画家」と呼ばれる。


1907年、当時の首都サンクトペテルブルクの美術学校に入るが、同校のアカデミックな教育に満足しなかったシャガールはやがてレオン・バクストの美術学校で学ぶことになる。

シャガールは1910年パリに赴き、5年間の滞在の後、故郷へ戻る。この最初のパリ時代の作品にはキュビスムの影響が見られる。1915年に結婚。10月革命(1917年)後のロシアでしばらく生活するが、1922年、故郷に見切りをつけ、ベルリンを経由して1923年にはふたたびパリへ戻る。 ロシア時代のシャガールはロシアアバンギャルドに参加して構成主義の影響の濃い作品、デザイン的作品を制作したが、出国後の作品は「愛の」方への傾斜が認められる。 1941年、第二次世界大戦の勃発を受け、ナチスの迫害を避けてアメリカへ亡命した。なお、同郷人で最初の妻ベラ・ローゼンフェルトは1944年にアメリカで病死した。

1947年にパリへ戻ったシャガールは、1950年から南フランスに永住することを決意し、フランス国籍を取得している。1952年、当時60歳台のシャガールはユダヤ人女性ヴァランティーヌ・ブロツキーと再婚した。

1960年、エラスムス賞受賞。同年、当時のフランス共和国文科大臣でシャガールとも親交のあったアンドレ・マルローはオペラ座の天井画をシャガールに依頼。これは1964年に完成している。

1966年、シャガールは17点から連作『聖書のメッセージ』をフランス国家に寄贈した。マルローはこの連作を含むシャガールの作品を展示するための国立美術館の建設を推進し、ニース市が土地を提供する形で1973年、画家の86歳の誕生日にニース市のシャガール美術館が開館した。墓はニースに近いサン・ポール(Saint Paul)のユダヤ人墓地にある。

福岡市美術館で開催されていた「シャガール・ロシア・アヴァンギャルドとの出会い」展にいってきた。
今日1月10日が最終日だった。
以前シャガールを見たときは、イメージの画家だという印象だったが、今回は色彩の画家だなという印象を強くもった。
マルク・シャガール Marc Chagall 出典『Wikipedia』
帝政ロシア領ヴィテブスクにモイシェ・セガルとして生まれた。ロシア名マルク・ザハロヴィチ・シャガル。故郷ヴィテブスクは人口の大部分をユダヤ人が占めているシュテットルで、シャガール自身もユダヤ系(東欧系ユダヤ人)である。生涯、妻ベラを一途に敬愛していたこと、ベラへの愛や結婚をテーマとした作品を多く製作していることから別名「愛の画家」と呼ばれる。


1907年、当時の首都サンクトペテルブルクの美術学校に入るが、同校のアカデミックな教育に満足しなかったシャガールはやがてレオン・バクストの美術学校で学ぶことになる。

シャガールは1910年パリに赴き、5年間の滞在の後、故郷へ戻る。この最初のパリ時代の作品にはキュビスムの影響が見られる。1915年に結婚。10月革命(1917年)後のロシアでしばらく生活するが、1922年、故郷に見切りをつけ、ベルリンを経由して1923年にはふたたびパリへ戻る。 ロシア時代のシャガールはロシアアバンギャルドに参加して構成主義の影響の濃い作品、デザイン的作品を制作したが、出国後の作品は「愛の」方への傾斜が認められる。 1941年、第二次世界大戦の勃発を受け、ナチスの迫害を避けてアメリカへ亡命した。なお、同郷人で最初の妻ベラ・ローゼンフェルトは1944年にアメリカで病死した。

1947年にパリへ戻ったシャガールは、1950年から南フランスに永住することを決意し、フランス国籍を取得している。1952年、当時60歳台のシャガールはユダヤ人女性ヴァランティーヌ・ブロツキーと再婚した。

1960年、エラスムス賞受賞。同年、当時のフランス共和国文科大臣でシャガールとも親交のあったアンドレ・マルローはオペラ座の天井画をシャガールに依頼。これは1964年に完成している。

1966年、シャガールは17点から連作『聖書のメッセージ』をフランス国家に寄贈した。マルローはこの連作を含むシャガールの作品を展示するための国立美術館の建設を推進し、ニース市が土地を提供する形で1973年、画家の86歳の誕生日にニース市のシャガール美術館が開館した。墓はニースに近いサン・ポール(Saint Paul)のユダヤ人墓地にある。

by yascovicci
| 2011-01-10 21:51
| 絵画・写真・文芸・展覧会












