メロエ遺跡のピラミッド群(1) メロエ王国中期の南ピラミッド群
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スーダン 2011年3月16日(水) 5日目カリマ(マラウィ)→300km→アトバラ→70km→メロエ
【メロエ遺跡】
<ベグラウィア> ①南ピラミッド群 ②北ピラミッド群
<ロイヤル・シティ> ①アモン神殿 ②アマニシャヒド神殿 ③ローマ浴場とサウナ
◆メロエのピラミッド群 ヌビアのピラミッドはナイル川流域の「ヌビア」地域に栄えたクシュ文明の遺跡。エジプトのピラミッドの影響を受けている。
▼エジプトのピラミッドの建造目的は不明だが、
スーダンのピラミッドはすべて「王と王妃の墓所」だという。

現代ではスーダン領となっているヌビア地域では古代に3つのクシュ文明が栄えた。最初はケルマに都し(B.C.2600-1520)、つぎにナパタ(B.C.1000-300)、最後にメロエを都とする王国 (B.C.300–A.D.300) が成立した。
▼南側から眺めた北側のピラミッド

ナパタのエジプト統治は比較的短命で、B.C.656年のアッシリアの侵攻により終焉を迎えた。しかしナパタに与えた文化的な衝撃は巨大であり、ナパタの後継王朝であるメロエにおいてはピラミッド建築が爆発的に増加することになる。

ヌビアのピラミッド遺跡はカーツームの約100km北方のメロエ遺跡であり、ナイル川の5番目と6番の滝の間に位置する。メロエ朝の40人を超える王と王妃の墓所となった。

ピラミッドは水平に並べられた石材を階段状に積み上げた構造で、傾斜は約70゜、高さは6メートルのものから30メートルに及ぶものまである。基礎部分は幅8メートルを殆ど上回ることがなく、その傍にエジプトの影響を受けた葬祭神殿が接続している。 『Wikipedia』の解説より
◆王国末期のメロエ西側ピラミッド
16時45分から4WDに分乗し、ロイヤル・シティから王国末期のメロエ西側ピラミッドへ
西側ピラミッドを通過し一旦アルヴォラウィラ・オアシスのホテルへチェックインし、部屋に荷物を置き、南と北のピラミッド群の見学へ。

▼西側ピラミッドは遠くから眺め、通過した。

▼補修し過ぎの感がある西側ピラミッド

◆メロエ王国中期の南ピラミッド
まずは南ピラミッドの見学。南ピラミッドまで20分くらい歩いていったが、数名はラクダで移動。
このときは何かを感じたくて、砂の上をぽれぽれと歩いていった。
広い砂漠にメロエ王国のピラミッドが見えてきたが、見学しているのは我々だけ。
メロエに経過した2000年の歴史のなかを、贅沢な時間がゆっくりと流れていた。

▼客待ちのラクダ部隊

▼ラクダに乗っていくのもいい。

▼ピラミッドの周囲は砂漠

▼北側ピラミッド群①

▼南側ピラミッド群①

▼南側ピラミッド群②

▼南から眺めた北側ピラミッド群

▼南側ピラミッド群に到着













