メロエ遺跡のピラミッド群(3) ブラック・ファラオの風、北ピラミッド群
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カリマ(マラウィ)→300km→アトバラ→70km→メロエ
【メロエ遺跡】
<ベグラウィア> ①南ピラミッド群 ②北ピラミッド群
<ロイヤル・シティ> ①アモン神殿 ②アマニシャヒド神殿 ③ローマ浴場とサウナ
◆ブラック・ファラオ時代からの風、北ピラミッド群へ
砂漠を歩き、メロエ王国中期の南ピラミッド群に到着。
丘の上から北ピラミッド群などをじっくり眺める。そのあと、メロエ王国初期から最盛期の北ピラミッド群へ歩いていく・・・・
紀元前568年ごろにクシュ王国がメロエに遷都して以降を「メロエ王国」と呼ぶ。鉱物資源や農産物に恵まれ、アビシニア(エチオピア)からインド洋へ通じる交易路の結節点として栄えた。アッシリアから導入した製鉄技術が高度に発達し、アフリカ大陸全土に広まった。350年ごろ、アビシニア高原(エチオピア高原)に興ったアクスム王国の侵攻を受けて滅亡した。
エジプトのピラミッドの建造目的は不明のものもあるが、スーダンのピラミッドの目的はすべて王や王妃の墓らしい。そして、スーダンのピラミッドは必ずピラミッドの東側に葬祭殿を設け、その中から地中に向かう階段が伸び、遺体を収める地下室に繋がっているという。
また、エジプトのピラミッドの角度よりスーダンのものは、より鋭角な形をしている。ヌビア系のブラック・ファラオ時代以降の古代メロエの王たちはエジプトのピラミッドを取り入れながらも独自に発展させていった。
ブラック・ファラオ以来のB.C.250以降の王墓であるクシュ王国(スーダン)のピラミッド群がメロエに建てられ、つい200年前まで完全な形で現存していたという。
ところが、1820年代、心ない人々によってピラミッドは無残にも全て盗掘・破壊されていった。
現在、保存状態はよくないが、考古学者等の手によって、少しづつ修復作業が行われているようだ。
◆北ピラミッド群へ
ブラック・ファラオ時代の風を感じながら、メロエ王国の北ピラミッド群へ登っていく・・・・
▼北ピラミッド群
▼北ピラミッド群
▼砂遊びに興じるドライバーたち ちと、砂風呂風かな
▼北ピラミッド群
▼北ピラミッド群
▼北ピラミッド群
▼北ピラミッド群
▼北ピラミッド群
▼北ピラミッド群
▼北ピラミッド群
▼北ピラミッド群
▼北ピラミッド群
▼北ピラミッド群
これから、ピラミッドの内部に残るレリーフを見たり、メロエに沈む夕陽を観賞するため、奥へ奥へ進んでいく・・・