2011年 08月 12日
新チチェン・イツァ (3) マヤとトルテカ文明融合の新チチェン・イツァ
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<メキシコ>2010年5月3日(月)
【チチェン・イツァ】
<新チチェン・イツァ遺跡>
①ククルカン大神殿(エル・カスティージョ) ②戦士の神殿と千本柱
③聖なる池セノーテ ④頭蓋骨の台座 ⑤球技場 ⑥再度、ククルカン大神殿
<旧チチェン・イツァ遺跡>
①マヤランドから遺跡へ(泉→金星の祭壇) ②高僧の墳墓 ③天文台(カラコル)
④尼僧院と教会 ⑤旧チチェン・イツァ観光完了

◆マヤ文明の聖地チチェン・イツァ
世界遺産チチェン・イツァは200年以上に渡って、ユカタン半島におけるマヤ文明の芸術、宗教、経済の中心地だった。チチェン・イツァとはマヤの言葉で“泉のほとりのイツァ=「魔術師」”という意味で、ユカタン半島最大のセノテ(聖なる泉)を中心に、この都市が繁栄したことから、そのように呼ばれたと推察されている。
遺跡群はマヤ独自の特徴が顕著な6世紀頃のマヤ古典期に属する「旧チチェン・イツァ」と、トルテカ文化と融合した10世紀以降の後古典期に属する「新チチェン・イツァ」の二つのエリアに大別される。

7世紀に隆盛を誇ったチチェン・イツァだが、その王族は、自らこの都から去り、歴史の舞台から姿を消した。
古代のマヤ人は、暦によって定期的に遷都を行っていたらしい。
10世紀になって、マヤ人は再びこの地に戻り、新たな都を築いていった。こうして生まれたのが、マヤ・トルテカ文明と呼ばれる。
それまでの、雨神チャックをひたすら祀り上げた素朴なモチーフに、好戦的な兵士の像や生け贄とされたドクロや、トルテカの象徴であるククルカン(羽毛の蛇)が新たに登場するようになった。
その後、軍事国家に変貌し栄華を極めたが、13世紀の初めにアヤパン族によって滅亡させられて、その歴史を閉じた。

◆ククルカン大神殿(エル・カスティージョ)
マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッド。
基底55.3m四方、高さ24m(頂上の神殿部分は6m)。通称の「カスティーヨ」はスペイン語で城塞の意。「ククルカンのピラミッド」、「ククルカンの神殿」とも呼ばれる。



▼北東の遺跡発掘中の部分。



by yascovicci
| 2011-08-12 06:47
| 中米の旅 メキシコ












