グルジア (16) 古都ムツヘタとスヴェティツホヴォリ大聖堂
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グルジア 2011年5月3日(火) <コーカサス3ヶ国の旅> 5日目
【グルジア】
①テラヴィの民宿 ②コーカサスの山々の姿 ③テラヴィのバザール
④ベルヘシ村の農家のワイナリー ⑤ベルヘシ村からトビリシへ ⑥トビリシ到着
⑦ソロラキス・カリで昼食 ⑧ジュワリ教会 ⑨古都ムツヘタ ⑩スヴェティツホヴォリ大聖堂
▼ジュワリ教会の丘から眺めた古都ムツヘタ

▼古都ムツヘタのスヴェティツホヴォリ大聖堂

◆テラヴィのバザールの見学のあと、大コーカサス山脈を眺めながら、300年続いているというワイナリーがあるというベルヘシ村(VELISTSKHI「畑の城」の意)に立ち寄った。その農家はノダリさん宅で、土の中に甕を埋めてワインを貯蔵していた。ワインやウォッカを試飲させて貰った。
ベルヘシ村を出発。一路グルジアの首都トビリシへ向かう。
午後1時頃、マルコポーロも、プーシキンも、トルストイも訪れたというトビリシの市街地に入った。トビリシの自由広場でバスを降り、レストラン「ソラリス・カリ」まで歩いていって、昼食。
午後からは、まずトビリシから北に25km程走り、1994年に世界文化遺産に登録された古都ムツヘタにいく。
その丘の上のジュワリ教会を訪問した。
丘を下って古都ムツヘタへ向かう。その中心にあるスヴェティツホヴォリ大聖堂を訪問。
◆丘から眺めた古都ムツヘタ
ムツヘタはグルジアの古都。首都トビリシから北西に20km。人口は約8,000人。クラ川とアラグヴィ川の合流地点の近くに町が広がる。

ムツヘタは、5世紀の王ワフタング1世(ワフタング・ゴルガサリ)がトビリシに遷都するまで、イベリア王国(紀元前3世紀-6世紀)の首都であった。

町を見下ろす山上に位置するジュワリ教会(6世紀)と、町の中心に位置するスヴェティツホヴェリ大聖堂(11世紀)が有名。スヴェティツホヴェリ大聖堂には、337年にキリスト教を国教化した王ミリアンとその妻ナナの墓がある。

ムツヘタは町全体がユネスコの世界遺産に登録されている。付近には、アルマジ砦(紀元前3世紀)など、多くの遺跡が分布している。
▼古都ムツヘタの中心にあるスヴェティツホヴォリ大聖堂

◆丘から下りて「古都ムツヘタ」へ


▼丘の上のジュワリ教会

▼丘の上の十字架 近くに教会がある目印だそうだ。

◆スヴェティツホヴォリ大聖堂
スヴェティツホヴォリとは『命の柱』という意味で、かつて総主教の住まいがあった場所。11世紀創建で高さ49m。スヴェティツホヴェリ大聖堂には、337年にキリスト教を国教化した王ミリアンとその妻ナナの墓がある。
また大聖堂にはイエス・キリストが磔刑の時に着ていた衣類の一部が保管されているという。
この『命の柱』の名の由来を伝える話がある。キリストがエルサレムで磔で処刑されたときに、ムツヘタ出身のグルジア・ユダヤ人のエリアスEliasが居合わせ、キリストの着衣の一部をムツヘタへ持ち帰った。彼の妹(姉)シドニアSidoniaがこの衣に触ると,神聖な力によって彼女は衣を握ったまま失神してしまう。彼女は衣を握ったままこの大聖堂の立っている場所に埋葬される。その後、その場所に杉が生える。4世紀に聖ニノがここに教会を建立することを決め、杉7本を伐採する。6本を立て、最後の1本を立てようとすと、木が宙に浮いて立てられない。聖ニノが一晩祈り続けると,最後の木は自ら地に戻り立ってしまう。この木からは聖油が流れ出て、この油により民衆の病を救うことができたという。
現在もキリストの着衣が教会の下に眠っていると信じられ、教会の前では「聖なる油」が販売されている。
現在も日曜の朝のミサには、トビリシからも沢山の人が訪れるという。
なぜか、ここはカメラのシャッターがガンガン動きまくり・・・


▼「城壁」に囲まれているスヴェティツホヴォリ大聖堂



▼高さ49mの堂々とした大聖堂の姿





▼スヴェティツホヴォリ大聖堂から眺めたジュワリ教会



















