キューバ (57) フィデル・カストロの生家ビラン訪問
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キューバ 2012年3月21日(水)<キューバの旅> 6日目
◆サンティアゴ・デ・クーバからビランまで北に約90km走る。1時間30分ほどのどかな田園地帯を走り、ビランに到着。

◆◆フィデル・カストロの生家ビラン
サンティアゴ・デ・クーバから90kmのところ、オルギン県のビランにあり2000年から公開された。2003年にはカストロ議長自らが訪問したそうだ。
カストロ議長の父親アンヘルはスペイン北西部ガリシア地方の出身。第二次独立戦争に従軍。1895年スペインからキューバに来て、35歳のとき、米国のユナイテッド・フルーツ社から土地を借り始め、サトウキビの農場主になって、同社に売るサトウキビの栽培に乗り出した。作男も雇い、やがて裕福な地主となり、1万5000ヘクタールの地所を有するまでになる。ロシア革命後の混乱期には,亡命してきたユダヤ人を米国に密入国させるビジネスも行ったという。アンヘルの資産総額は500万ドルに達し、農園内には使用人など300家族が生活していたという。
農園内には肉屋、バー、電報局、病院、映画館、幼稚園、学校、ホテル、闘鶏場などがあって、農場内だけでも生活できるようになっていたそうだ。
カストロの母リナはキューバの西の貧しい家の出身だったが 結婚してアンヘルと協力、農場の経営に努めるとともにフィデル・カストロを含む七人の兄弟姉妹を設けた。(フィデル・カストロは1926年8月13日生)
◆フィデル・カストロの生家ビラン

▼外国からの団体ツアー客 奥の建物は当時のホテル、現在はカフェテリア

▼当時のホテル、現在はカフェテリア

▼奥が学校 手前は郵便局だったかな

◆ビランの学校


▼案内をしてくれた女性スタッフ

▼学校の教室

▼フィデル・カストロの座っていたイス



フイデル・カストロは小学校途中から寄宿してサンチャゴ・デ・クーパの学校に通い、後にハバナの高校に転入、記憶力と計算力に優れた、且つスポーツ好きの少年であったようだ。1945年9月 19歳のフィデルは名門ハバナ大学の法学部に入学、、演説の上手い目立つ学生として注目され、スペインからの第二次独立戦争の指導者だったホセ・マルテイの平等思想に傾倒し、、社会の不平等を憎む正義感の強い、学生運動のリーダーとして育っていったようだ。
▼家族の写真(革命前)

▼家族の写真(革命後)

◆家族が住んでいた母屋

▼母屋見学 高床式になっていて、湿気が多く暑い東部・オリエンテ地方で、涼しく過ごすための工夫がなされている。

▼母屋の2階



▼フィデルとラウル兄弟の部屋

▼テレビもあったリビング

▼大家族のための大きな冷蔵庫

▼キッチン

▼トイレも水洗

▼ビリヤード台

▼フィデルが生まれたベッド

▼フィデルが産湯をつかったバスタブ

▼バーと電報・郵便局

▼母リナの使った1918年製のフォード


◆父母が眠るカストロ家の墓 (父アンヘル1956年没、母リナ1963年没)



▼広大なビランの土地

▼この木の脇には大きな幹線道路が通っていたそうだ。

◆闘鶏場見学


◆ハイチからの移民小作人の住居


◆ビラン見学が終わり、サトウキビジュースで休憩


▼これがサトウキビジュース 甘くてうまい。

▼この車で移動する。ドライバーはロヘリオさん

▼ビランに咲いていた花

ビラン観光が終わり、これから世界遺産のモロ要塞へ向かう。












