2013年 01月 02日
伊勢神宮 外宮 豊受大神宮
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▼伊勢神宮 外宮 豊受大神宮の御正殿
◆◆紀州の旅 2012年11月
◆11月21日(水)
アルファGTで福岡の自宅を午後3時出発。山陽自動車道を走り、権現湖PAで車中泊。
走行距離533㎞。

◆11月22日(木)
権現湖PAを出発。西宮、伊賀で休憩し、伊勢へ。午前中に伊勢神宮の外宮、内宮を参拝

◆◆伊勢神宮 外宮
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。
豊受大神宮は外宮と呼ばれ豊受大御神をお祀りしている。
今からおよそ1500年の昔(西暦五世紀)に第21代雄略天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波の国(今の京都府北部)から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされたと言い伝えられている。
この豊受大御神(とようけのおおみかみ)は天照大御神のおめしあがりになる大御饌(おおみけ…食物)の守護神であり衣食住、農業をはじめひろく諸産業の守護神をつかさどる神とされている。

▼北御門口の火除橋


▼北御門鳥居

▼神楽殿
この神楽殿の一角でお守りやお札を購入できる。


◆御正殿
第21代雄略天皇の22年(5世紀)、天照大御神のお告げがあり、丹波の国からこの伊勢の国にお迎えしたと伝えられています。
これは、天照大御神の内宮御鎮座より、481年後の事だと言われています。
この豊受大神宮は外宮(げくう)とも呼ばれ親しまれていますが、天照大御神のお召し上がりになる大御饌(御食物)の守護神であり、すべての産業をお守り下さる神様として豊受大御神をお祀りしています。

御正殿は唯一神明造りと呼ばれる建築様式で、一般神社の神明造りと区別して呼ばれています。
屋根は切り妻造りの平入で萱葺きであり。両端の破風板の先端が屋根をつらぬいて千木(ちぎ)となっていて、外宮ではこの千木の先が大地と直角(垂直)の外削ぎになっています。(内宮では水平の内削ぎになっています)

棟の上には9本の鰹木が並び、この棟を直接支えている棟持柱が両端にあります。柱は堀立式の丸柱で地中に埋め建ててあり、素木(しらき)造りで造られています。

これらの唯一神明造りは高床式の穀倉の形式から発展したものといわれ、現在まで脈々と受け継がれています。


▼土宮、風宮、多賀宮の別宮へ

◆土宮
土宮は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)の麓にある外宮の別宮である。
別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。

正宮前の池の横の亀石を渡った先の石段の左に風宮が、右に土宮がある。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。
◆風宮
土宮の東には、級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)の風神をおまつりする風宮があります。
元寇時に神風を吹かしたと伝えられます。内宮にも同じ御祭神の風日祈宮があります。

▼風宮

▼石段を登っていく



◆多賀宮
多賀宮は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)にある。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。
山頂にあるので高宮(たかのみや)であったが、縁起のよい字を当て多賀宮(たかのみや)になったと考えられている。



▼多賀宮の参拝が終わり、石段を下りていく

▼帰りの北御門口の火除橋

これから車で伊勢神宮内宮の駐車場へ向かう。

◆◆紀州の旅 2012年11月
◆11月21日(水)
アルファGTで福岡の自宅を午後3時出発。山陽自動車道を走り、権現湖PAで車中泊。
走行距離533㎞。

◆11月22日(木)
権現湖PAを出発。西宮、伊賀で休憩し、伊勢へ。午前中に伊勢神宮の外宮、内宮を参拝

◆◆伊勢神宮 外宮
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。
豊受大神宮は外宮と呼ばれ豊受大御神をお祀りしている。
今からおよそ1500年の昔(西暦五世紀)に第21代雄略天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波の国(今の京都府北部)から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされたと言い伝えられている。
この豊受大御神(とようけのおおみかみ)は天照大御神のおめしあがりになる大御饌(おおみけ…食物)の守護神であり衣食住、農業をはじめひろく諸産業の守護神をつかさどる神とされている。

▼北御門口の火除橋


▼北御門鳥居

▼神楽殿
この神楽殿の一角でお守りやお札を購入できる。


◆御正殿
第21代雄略天皇の22年(5世紀)、天照大御神のお告げがあり、丹波の国からこの伊勢の国にお迎えしたと伝えられています。
これは、天照大御神の内宮御鎮座より、481年後の事だと言われています。
この豊受大神宮は外宮(げくう)とも呼ばれ親しまれていますが、天照大御神のお召し上がりになる大御饌(御食物)の守護神であり、すべての産業をお守り下さる神様として豊受大御神をお祀りしています。

御正殿は唯一神明造りと呼ばれる建築様式で、一般神社の神明造りと区別して呼ばれています。
屋根は切り妻造りの平入で萱葺きであり。両端の破風板の先端が屋根をつらぬいて千木(ちぎ)となっていて、外宮ではこの千木の先が大地と直角(垂直)の外削ぎになっています。(内宮では水平の内削ぎになっています)

棟の上には9本の鰹木が並び、この棟を直接支えている棟持柱が両端にあります。柱は堀立式の丸柱で地中に埋め建ててあり、素木(しらき)造りで造られています。

これらの唯一神明造りは高床式の穀倉の形式から発展したものといわれ、現在まで脈々と受け継がれています。


▼土宮、風宮、多賀宮の別宮へ

◆土宮
土宮は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)の麓にある外宮の別宮である。
別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。

正宮前の池の横の亀石を渡った先の石段の左に風宮が、右に土宮がある。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。
◆風宮
土宮の東には、級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)の風神をおまつりする風宮があります。
元寇時に神風を吹かしたと伝えられます。内宮にも同じ御祭神の風日祈宮があります。

▼風宮

▼石段を登っていく



◆多賀宮
多賀宮は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)にある。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。
山頂にあるので高宮(たかのみや)であったが、縁起のよい字を当て多賀宮(たかのみや)になったと考えられている。



▼多賀宮の参拝が終わり、石段を下りていく

▼帰りの北御門口の火除橋

これから車で伊勢神宮内宮の駐車場へ向かう。
by yascovicci
| 2013-01-02 21:02
| 紀州・熊野の旅












