世界遺産 【熊野那智大社】
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◆三重県の新宮の従兄弟の自宅へ。紀南病院で入院中の95歳の伯母さんの見舞い。
それから熊野速玉大社、熊野那智大社、青岸渡寺を参拝。那智の滝を眺め本土最南端の潮岬まで走る。
◆◇◆熊野那智大社
熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されている。

その社殿を、現在の社地に移ししたのは仁徳天皇五年(317年)と伝えられている。この時、大瀧を「別瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神(ふすみ)」を中心に、国づくりに御縁の深い十二柱の神々をお祀りになった。

やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行なわれるようになった。

その後、「蟻の熊野詣」といわれる程に全国から沢山の人々が熊野を目指すことになるが、中でも、皇室の尊崇厚く、延喜七年(907年)十月、宇多上皇の御幸をはじめとして、後白河法皇は三十四回、後鳥羽上皇は二十九回も参詣の旅を重ねられ、また花山法皇は千日(三年間)の瀧籠りをなされたと記録がある。
『熊野那智大社』のHPより抜粋
◆◆熊野那智大社境内
▼手水舎


▼社務所
昭和五十二年(1977)四月、那智高原において全国植樹際が行われ、これを記念して建てられた。


▼拝殿(右)と八社殿

◆八社殿
八咫烏(やたがらす)は、日本神話で、神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる烏。一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている。


◆八咫烏(やたがらす)のシンボルマーク
▼JFAのシンボルマーク

▼陸上自衛隊中央情報隊のシンボルマーク



◆熊野那智大社 拝殿

▼熊野那智大社 拝殿①

▼熊野那智大社 拝殿②

▼熊野那智大社 拝殿③

▼熊野那智大社 拝殿④ 御神灯

▼清めの護摩木


▼熊野那智大社 御本殿













