2013年 01月 29日
世界遺産 【那智山青岸渡寺】 本堂
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◆紀州・熊野の旅 2012年11月23日
◆三重県の新宮の従兄弟の自宅へ。紀南病院で入院中の95歳の伯母さんの見舞い。
それから熊野速玉大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺を参拝。
那智の滝を眺め、本土最南端の潮岬まで走る。
◆◇◆那智山青岸渡寺
那智山青岸渡寺は、仁徳天皇の時代(4世紀の頃)、インドから那智に渡来した裸形上人が、那智滝の滝壺で見つけた如意輪観世音像を本尊として安置したのに始まると伝わる。
また一千日(3年間)の滝篭りをされた花山法皇が、永延2年(988)に御幸され、西国三十三ヶ所第一番札所として定めたとされる。
如意輪観世音を祀る本堂は、天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建したもので、桃山時代の特徴を色濃く残しており、明治の神仏分離令までは熊野那智大社と一体で、神仏習合の修験道場として栄えた。現在の本堂は当時の如意輪堂になる。今も寺と神社は隣接していて、双方を参拝する人が多い。
2004年7月には、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録された。
▼本堂前の聖観音像

▼手水舎

▼世界遺産の碑

▼本堂前の香炉

◆◆那智山青岸渡寺本堂
西国三十三ヶ所第一番札所。御本尊は如意輪観世音菩薩。
現在の本堂は、織田信長南征の兵火に掛かったが、天正18年(1590)、豊臣秀吉が再建。
桃山時代の建築をとどめ南紀唯一の古い国指定の重要文化財建造物。
この堂の高さは18m。



◆日本一の大鰐口(おおわにぐち)
鰐口は布で編んだ綱を振り動かして打ち鳴らす仏具。お寺が鰐口で仏様に、神社は鈴で神様にお願いをする。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命により本堂(如意輪堂)が再建された際、豊臣秀吉より寄進された日本一の大鰐口(おおわにぐち)で、直径1.4m、重量450kgもある。鰐口にはその再興の趣旨が刻まれている。




▼参拝終了




◆宝篋印塔(ほうきょういんとう)
(重要文化財、鎌倉時代後期・南北朝時代 元亨二年 1322年、流紋岩、高さ 4.4m)

◆天然記念物タブノキ
和歌山県指定天然記念物 推定樹齢…約700年 幹周り…約4.4m 樹高…約17m


◆三重県の新宮の従兄弟の自宅へ。紀南病院で入院中の95歳の伯母さんの見舞い。
それから熊野速玉大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺を参拝。
那智の滝を眺め、本土最南端の潮岬まで走る。
◆◇◆那智山青岸渡寺
那智山青岸渡寺は、仁徳天皇の時代(4世紀の頃)、インドから那智に渡来した裸形上人が、那智滝の滝壺で見つけた如意輪観世音像を本尊として安置したのに始まると伝わる。
また一千日(3年間)の滝篭りをされた花山法皇が、永延2年(988)に御幸され、西国三十三ヶ所第一番札所として定めたとされる。
如意輪観世音を祀る本堂は、天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建したもので、桃山時代の特徴を色濃く残しており、明治の神仏分離令までは熊野那智大社と一体で、神仏習合の修験道場として栄えた。現在の本堂は当時の如意輪堂になる。今も寺と神社は隣接していて、双方を参拝する人が多い。
2004年7月には、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録された。
▼本堂前の聖観音像

▼手水舎

▼世界遺産の碑

▼本堂前の香炉

◆◆那智山青岸渡寺本堂
西国三十三ヶ所第一番札所。御本尊は如意輪観世音菩薩。
現在の本堂は、織田信長南征の兵火に掛かったが、天正18年(1590)、豊臣秀吉が再建。
桃山時代の建築をとどめ南紀唯一の古い国指定の重要文化財建造物。
この堂の高さは18m。



◆日本一の大鰐口(おおわにぐち)
鰐口は布で編んだ綱を振り動かして打ち鳴らす仏具。お寺が鰐口で仏様に、神社は鈴で神様にお願いをする。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命により本堂(如意輪堂)が再建された際、豊臣秀吉より寄進された日本一の大鰐口(おおわにぐち)で、直径1.4m、重量450kgもある。鰐口にはその再興の趣旨が刻まれている。




▼参拝終了




◆宝篋印塔(ほうきょういんとう)
(重要文化財、鎌倉時代後期・南北朝時代 元亨二年 1322年、流紋岩、高さ 4.4m)

◆天然記念物タブノキ
和歌山県指定天然記念物 推定樹齢…約700年 幹周り…約4.4m 樹高…約17m


by yascovicci
| 2013-01-29 01:07
| 紀州・熊野の旅












