本州最南端の潮岬灯台と太平洋と恋人岬の夕陽
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◆三重県の新宮の従兄弟の自宅へ。紀南病院で入院中の95歳の伯母さんの見舞い。
それから熊野速玉大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺を参拝。
那智の大瀧を眺め、本州最南端の潮岬まで走る。近くの潮岬灯台も見学。
▼潮岬灯台

◆◇◆本州最南端の潮岬灯台
潮岬灯台は、紀伊半島南端の和歌山県東牟婁郡串本町にある太平洋に突き出た潮岬に建つ白亜の灯台である。光達距離26.5海里(約49km)は日本一である。
この灯台は明治初期の江戸条約によって建設された8基の洋式灯台(条約灯台)の一つで、歴史的・文化的価値が高いAランクの保存灯台に指定されているほか、「日本の灯台50選」にも選ばれている。
参観灯台として、灯台下には資料展示室を併設し常時公開されている。本州最南端に位置する灯台から望む太平洋の風景は地球の丸みを感じることができる壮大なものである。
明治6年(1873年)の初点灯以来、100余年もの間、海上交通の要所として沖行く船を照らし続けている。
▼潮岬灯台の駐車場から歩いていく・・・

◆◆灯台入り口の向かい側、潮御崎神社の入り口に石柱と御製歌の石碑がある。
潮御崎神社は古くは現在潮岬灯台のある潮見の端に鎮座したが、明治三年(1870)、灯台設置の際、移転した。
花山法皇潮御崎神社行事の節。
『此処にます 神に手向の幣帛なれや 潮の 御崎に寄する白波』
白河天皇行幸の節。
『あなうれし 難波の宮のこと問はん 潮の御崎の御綱柏に』

▼潮岬灯台の門

▼灯台見学の受付

◆潮岬灯台資料館


▼エルトゥールル号遭難事件のパネル
エルトゥールル号遭難事件とは、1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号(Ertuğrul Fırkateyni)が現在の和歌山県串本町沖にある、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件である。この事件は、日本とトルコの友好関係の始まりと考えられている。
現在、和歌山県串本町の樫野崎灯台そばにはエルトゥールル号殉難将士慰霊碑およびトルコ記念館が建つ。また、町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭も5年ごとに行われている。


◆潮岬灯台の階段を登る・・・
68段の狭い「らせん階段」を上ると・・・


◆◆潮岬灯台からの眺望
本州最南端の風景と太平洋の大海原が目の前に広がる。
▼潮岬灯台からの眺望①

▼潮岬灯台からの眺望②

▼潮岬灯台からの眺望③

▼潮岬灯台からの眺望④ 潮御崎神社の姿も見えた。

▼潮岬灯台からの眺望⑤

▼潮岬灯台からの眺望⑥

▼潮岬灯台の雄姿

◆◆夫婦波の恋人岬での夕陽
本州最南端の潮岬灯台の観光が終わり、この日の最終目的地の神戸へ走る途中、夫婦波の恋人岬で夕陽に出会い、写真休憩。

▼夫婦波は、『すさみ八景』の1つで不思議な波が見られる。激しい海流が黒島にぶつかり、真っ二つに裂けた波が再びぶつかり、互いに引いて行くというもの。この波は合掌波または『夫婦波』と呼ばれ、奇観として「和歌山の親しめる水辺66」にも選ばれている。波と波が出会うロマンチックな恋人岬の風景。

▼恋人岬の夕陽













