古代エジプト展 第1章 古代エジプトの死生観 呪文の変遷-(1)
|

1-2
呪文の変遷
Magic for the Living and Dead : Texts for the Dead
最古の葬送文書集の『ピラミッド・テキスト』は、王が復活するための儀式の呪文を中心とし、古王国時代の第5王朝の終わり頃に現れた。中王国時代になると中部エジプトを中心として王以外の人々の間に『コフィン・テキスト』が登場し、木製の棺の内側に呪文が記されるようになる。
『コフィン・テキスト』を継承する『死者の書』の呪文が出現したのは第2中間期(前1700年頃)。古くは棺や遺体の覆い布に記されたが、新王国時代初めから長方形の棺に代わって人形棺が使われるようになると、呪文を記す余白が不足したため、小さく納めやすいパピルスの巻物が広まる。最初は挿絵が少なく、次第に数多く描かれるようになった。第26王朝時代の「サイス改訂」と呼ばれる体系化によって200以上の章(呪文)の構成や挿絵に一定の決まりができると、以後の規範になった。プトレマイオス王朝後期に入ると、文章が極端に短く、挿絵は雑になるなど『死者の書』は衰えを見せ、ついにその役目は終わりを迎えることになる。
▼1-2-4
セニの外棺に記された『コフィン・テキスト(棺柩碑文)』
-『死者の書』の前身
A precursor of the Book of the Dead: Coffin Texts on the outer coffin of Seni
木(レバノン杉)、彩色 長さ262㎝、幅830㎝
中王国時代 第12王朝、前1850年頃、アル=ペルシャ、おそらく11号墓

新王国時代以前、王族ではない死者の場合、最も重要な葬送文書は、長方形の木製の棺の表面に記されていた。棺の外側の碑文は、葬送儀礼から取られることが多かった。例えば、死者を再生・復活させる神々の言葉、あるいは、儀式の中で神々の役割を演じた神官の言葉であった。棺の内側に記された文章は、主に死者に特別な力を与え、守護し、来世へ導く役割を果たしていた。これらの呪文は、『コフィン・テキスト』を出典とし、脚色や追加部分が多く加えられている。現在、『コフィン・テキスト(棺柩碑文)』として知られているこうした呪文が『死者の書』の直接の原点となった。

『コフィン・テキスト(棺柩碑文)』は、死者が直接使用できるように、一般的に棺の内側の壁に長い行にわたって記された。挿絵はほとんど見られなかったが、死者が使用するための、衣類、宝飾品、道具、武器、筆記用具、そして、その他の品々の絵が描かれ、帯状に棺の上部を飾っていた。この棺は、ウサギの紋章を持つ上エジプトの第15ノモス(州)の知事の執事で主治医だったセニのために作成された二つの棺のうち、外側にあったものである。
▼左クリックで拡大

棺の底の部分には、複雑な図柄が文章と共に描かれている。これは『二つの道の書』として知られる『コフィン・テキスト』とは別の書の一部である。これは死者を冥界へと導く古い時代の手引書であり、地図のように描かれた道や水路に沿って、死者がたどる冥界への道を示している。同様の概念は新王国時代の『死者の書』で再び登場する。この時代の『死者の書』には、死者が安全に冥界にたどり着くために習得しなければならない知識として、冥界の門とその門番を務める神々の絵と説明を記した章が含まれている。

◆1-2-5
『死者の書』が描かれたミイラの覆い布
Mummy shroud with texts and vignettes from the Book of the Dead
亜麻布、インク、彩色、高さ135㎝、幅130㎝
新王国時代、第18王朝初期、前1450年頃、出土地記録なし
トトメス3世の治世になると、『死者の書』は一般の人々のパピルスの巻物やミイラの覆い布にも記されるようになった。この布は挿絵が文章とほぼ同じ面積を占めていて、挿絵の重要性が高いことを示している。最初の3つの段には、「変身の呪文」、「大気を吸うための呪文」、そして「冥界の門を知るための呪文」の文章と挿絵が記されている。
4段目には、ミイラを墓に運ぶ場面が描かれている。その下の部分は一部しか残っていないが、第150章の冥界の聖なる丘の図柄がある。これは、当時の一般的なパピルス文書にもよく見られ、書の終わりを示す。
最上段左の男性はカー、葬送の行列に並ぶ女性はおそらくタペレトという名前である。
▼左クリックで拡大

◆1-2-6
ネブセニィの『死者の書』
An early Book of the Dead on papyrus
パピルス、インク、高さ36㎝、幅66㎝
新王国時代、第18王朝、前1400年頃
メンフィスのネクロポリス
ネブセニィのパピルスは、第18王朝の『死者の書』の中で、最も長く、最も丁寧に制作されたものの1つである。
このパピルスには珍しい点がいくつかある。まず、ネブセニィは、自身がプハタ神殿や上下エジプトの神殿において書記や写本師を務めていたため、『死者の書』の文章と挿絵を自ら手掛けた可能性がある。また挿絵を含め、赤と黒のインクだけが使われている点、文章が逆の方向に記されている点なども変わった特徴である。
挿絵は丹念に描かれ、細部は驚くほど変化に富んでいる。特に所有者の姿が様々に異なる姿勢で描かれているのが目を惹く。ネブセニィの妻と両親の名前もパピルスに記されている。このこと自体は珍しいことではないが、3人の子供の名前が記され、その姿が描かれているのは珍しい。これはネブセニィ自身が新しくもたらした工夫なのかもしれない。
▼左クリックで拡大

パピルスの挿絵の中で最も丁寧に描かれているこの場面では、ネブセニィとその妻センセネブが、息子のプタハメスから供物を受け取っている。プタハメスは、横に三つ編みを垂らした神官の髪型で、心臓形の護符を首にかけている。場面の上にはネブセニィの称号が記されている。椅子の下には、「筆記のための器」と説明書きのある入れ物が置かれており、この文書における書記の役割の重要性を強調している。












