古代エジプト展 第２章 冥界の旅 旅への装い－（１）

◆◆大英博物館古代エジプト展　　福岡市美術館　２０１２

第２章　冥界の旅
The Journey of the Dead

古代エジプトでは、人は死後に冥界の旅をへて再生・復活し、来世での永遠の生命を得ると考えられた。『死者の書』はその旅を無事に乗り切るために必要な知識や守護の力、特別な能力などを死者に与える呪文集であり、いわば来世への旅のガイドブックといえよう。
そこには、冥界の旅で死者を待ち受ける神々や動物、風変りな風景、困難な試練などが生き生きと描写された。
　死は、この世からあの世へと死者を送る儀式の始まりだった。遺体はまず処置を施されてミイラとなり、完璧で永久的な体をもつ聖なる存在へと作り換えられる。続く埋葬の儀式に関する呪文は、『死者の書』の重要な部分を成し、葬送行列と墓で行われる儀式を描写する詳細な挿絵が描かれた。儀式の中で最も重要なのが、死者の体や口や目、耳、鼻などに五感を取り戻す「口開けの儀式」で、死者はこの儀式によって、供物を食べたり、旅の途中で必要に応じて呪文を唱えたりできるようになる。

　死者が旅する冥界の環境は、現世のそれに似ていると考えられていた。死者が新しい生命に目覚めた時に再び使えるように、墓には衣服、化粧容器とパレット、道具箱、武器といった日常の品々が供えられた。豊かなナイル渓谷やデルタ地帯といった現実の自然世界を反映して、冥界にも土、水路、島、丘、畑、湖、道、洞窟、大気、火、光、闇、動物などが存在すると考えられた。
　危険な動物との遭遇、恐ろしい神々が番をする門といった数々の難関を、死者は呪文の助けを借りてくぐり抜けなければならない。中でも最大の挑戦は冥界の王オシリス神による「審判」だった。死者の心臓を計量にかけて生前の行いの正しさが問われ、この結果によって死者が永遠の生命に値するかどうかが決まる。
善き者は楽園に迎えられ、悪しき者は罰を受ける。この重要な場面において、死者がどういう行動を取るべきかが、『死者の書』の重要な題材の１つだった。

２－3

旅への装い
The Mummy in the Tomb: Equipping the Dead

　冥界の旅に備え、死者は埋葬室の中で守護の力をもつ様々な副葬品によって守られた。護符をはじめとする副葬品の配置には重要な意味があり、『死者の書』の呪文でその指示が記されるものもある。

◆◆２－３－１６
神官イレトホルイルウの人形棺
Coffin of the priest Irthorru
木、石膏、顔料、高さ１８６㎝
末期王朝時代、第２６王朝、前６００年、アクミーム

　この棺に記されたヒロエグリフによると、イレトホルイルウは、上エジプトにおいて豊穣神ミンの信仰の中心地であったアクミームの神官であった。彼の父アクウンネフェルは、この神に仕える最も位の高い神官の一人であった。棺は永遠に若く、完璧な肉体を持った理想化された死者の姿を表しており、縞模様のカツラを被って、今では失われた付け髭のためのあご紐を付けている。
　棺に描かれた図像では、死者を復活に導く重要な儀式が再現されている。埋葬の儀式の前夜、（オシリス神を殺した）セト神とその従者から敵意に満ちた行為を受けないよう、ミイラを守る場面である。そのため棺には多様な守護神が描かれている。その一部は、墓でミイラを守る神として『死者の書』第１５１章の挿絵にも描かれる神々である。オシリス神の姉妹であるイシス神とネフティス女神は、棺の足元と頭にそれぞれ描かれ、自分たちが務めるべき守護の役割を言葉で表している。天空の女神で、永遠の母であるヌウト神は、イレトホルイルウの胸の上にその羽根を広げている。彼女の下には、心臓の計量の場面と、この審判を無事に通過した後にイレトホルイルウがオシリス神に迎えられている場面が描かれている。さらにこの場面の下には、『死者の書』第８９章に出てくる、精霊バーとミイラが合体する図が描かれている。この合体によって死者の永遠の再生が約束される。棺の側面には、まるで邪気を追放する結果のように、神々が立ち並んでいる。棺の背面は、オシリス神の象徴である大きなジェド柱で装飾され、死者が永遠の生命を持つ神オシリス神と同一化されたことを表している。

◆◆２－３－１７
神官イレトホルイルウのミイラ
Mummy of the priest Irthorru

亜麻布、石膏、ファイナンス、金箔、高さ１７５㎝
末期王朝時代、第２６王朝、前６００年頃、アクミーム

　ミイラは、死や埋葬にまつわる守護の儀礼の中心であった。その体を覆われた姿は、死
者が再生・復活の可能性を与えられたことを意味し、オシリス神と同じように亜麻布の包帯で巻かれて繭のように守られ、神の特質を与える役目を持つ黄金のマスクで飾られた。
ＣＴスキャンの結果、イレトホルイルウの包帯の内側には、保存状態の良い中年男性の体があることがわかった。腕は胸の上で交差され、額には二つの大粒のビーズらしきものが置かれている。これらは末期王朝時代の他のミイラには見られない特徴である。もう１つ特異なのは、マスクの製法である。別物として作ったミイラマスクを頭の上に被せたのではなく、ミイラの松やにの層を土台として作られ、頭蓋骨の前面と両側を覆うように、頭の包帯に直接接着されている。ＣＴスキャン画像を見ると、胸のあたりを覆う包帯の内側にいくつかの小さな護符が置かれていることがわかる。また、覆いの上には青色のビーズネットで飾られており、その中にはモザイクのように彩り豊かな小粒のビーズで、羽根をもつヌウト女神とホルス神の息子たちの姿が描かれている。