オランダの旅 (40) 【アムステルダム】 国立美術館
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オランダ 2012年5月4日(金)<ベネルクス三国の旅>(85) 6日目
【アムステルダム】 ①レストランAllureでランチ ②ガッサンのダイヤモンド
③アムステルダム車窓観光 ④国立ゴッホ美術館 ⑤アムステルダム国立美術館
◆◇◆アムステルダム国立美術館


1800年にオランダ総督ルブランがハーグで開いた展覧会が基礎となっている。当時はナショナル・アート・ギャラリーと呼ばれていたが、1808年にナポレオン1世の命によりアムステルダムに移転。1885年に現在の場所に移動し開館したオランダ最大のミュージアムである。設計はアムステルダム中央駅と同じペトルス・カイパース。

2004年より、2008年夏の公開に向けて大規模な改修が行われていたが、工事計画が地元の反対などで二転三転し、中断。本館が何年にも渡って閉鎖されているという事態が2012年5月現在も続いている。
アムステルダム国立美術館は10年にわたる改修工事を終え、2013年4月13日に再オープンする予定。
▼長期改修工事中の国立美術館のドキュメント映画の笑えるポスター

▼国立美術館の入口

◆◇◆アムステルダム国立美術館の主な作品
◆◆ヨハネス・フェルメール
17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer、1632年 - 1675年)の作品は、疑問作も含め30数点しか現存しない。現存作品はすべて油彩画である。
2012年は、わが<フェルメールの年>であった。
5月にアムステルダム国立美術館でフェルメールと出会い、11月2日に九州国立博物館で『真珠の首飾りの少女』 を、11月24日に神戸市立博物館の「マウリッツハイス美術館展」でフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』を鑑賞した。
▼ 『牛乳を注ぐ女』 ヨハネス・フェルメール
『デルフトの眺望』『真珠の耳飾の少女』とともに、フェルメールのもっとも著名な作品の一つで、壁、パン、籠、陶器などの質感描写が高く評価されている。画面右下の箱状のものは足温器。フェルメールの作品には女性像が多いが、働く女中を単独で表したものはこれ1点のみである。

▼【参考】 この年九州国立博物館で鑑賞したフェルメールの『真珠の首飾りの少女』

▼【参考】 この年神戸市立博物館の「マウリッツハイス美術館展」で鑑賞したフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』

▼『手紙を読む青衣の女』 ヨハネス・フェルメール
フェルメールの画業の最盛期である1660年代半ばに何点か描かれた、室内の女性単独像の1つである。画面向かって左から光が差す点は他の作品と共通しているが、他の作品と異なり、窓そのものは画面に描かれていない。

▼『恋文』 ヨハネス・フェルメール
手紙を読み、書き、受け取る女性の像は、フェルメールの得意としたものである。本作品では、手紙を受け取って当惑顔の女主人と、訳知り顔の女中が描かれ、物語の細部は鑑賞者の想像にゆだねられている。

◆ヨハネス・コルネリス・フェルスプロンク
フェルスプロンクの作品にはフランス・ハルスの影響が強く見られるため、ハルスの元で学んだのかもしれない。彼は装飾品やレースを描くことに長けており、そのせいか女性を描いた作品も多い。フェルスプロンクの作品は100程が現存する。『青い服を着た少女』は1945年以降に発行された25ギルダー紙幣に描かれていた。
▼『青い服を着た少女』

◆◆レンブラント・ファン・レイン
レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz. van Rijn、1606年7月15日 - 1669年10月4日)は、17世紀を代表する、オランダの画家。単にレンブラントと呼ばれることも多い。大画面と明暗を画面上に強く押し出したルミニズムの技法を得意とし、「光の画家」「光の魔術師」(または「光と影の画家」「光と影の魔術師」)の異名を持つ。油彩だけでなく、エッチングや複合技法による銅版画やデッサンでも数多い作品を残した。また、生涯を通じて自画像を描いたことでも知られる。これらは、その時々の彼の内面までも伝えている。
▼ 『自画像』 (1661) レンブラント

彼はヨーロッパの美術史を代表する重要なひとりである。若くして肖像画家として成功し、晩年には私生活におけるたび重なる不幸と浪費癖による財政的苦難にあえいだが、それでもなお同時代において既に著名であり高い評価を受け続けた。
▼ 『夜警』 (フランス・バニング・コック隊長の市警団)

▼写真撮影した『夜警』 ※館内での写真撮影は許可されている。

レンブラントの著名な作品として『フランス・バニング・コック隊長の市警団(夜警)』が挙げられる。画面が黒ずんでいることから夜の様子を描いたと考えられ付けられた名前だが、これはニスの劣化によるもので、実際には左上から光が差し込んでいる描写がある通り、昼の情景を描いている。この作品は『フランス・バニング・コック隊長の市警団』という題名であり、火縄銃手組合から依頼され、登場人物の各人が同じ金額を払って製作された。しかし各人が平等に描かれていない上、何も関係のない少女を目立たせたため物議をかもした。だがコック隊長は気に入り、絵画の出来栄えはレンブラントの評価を高めた。
▼『イサクとリベカ』 (ユダヤの花嫁) レンブラント

この作品は、長く『ユダヤの花嫁』と知られ、「嫁に行く娘と、それを送り出す父親の絵」と思われていたが、近年になって、レンブラント自身の記録などから、「旧約聖書に登場する、イサクとリベカ夫妻の絵」という事が判明した。ゴッホは、この作品を見て、「この絵の前に2週間居られるなら、生涯の10年を差し出す」とまで言った。というエピソードがあるらしい。
▼写真撮影した『イサクとリベカ』 レンブラント

▼『カプチン派修道士の姿をしたティトゥス』、1660年 レンブラント

▼『マリア・トリップの肖像』
『Portret van een vrouw, mogelijk Maria Trip』 1639年 レンブラント

◆ヤン・ステーン
ヤン・ステーン(Jan Steen,1626年 - 1679年1月1日)はオランダ・ライデン生まれの画家である。17世紀のバロック期に活躍した。
彼は静物画、肖像画、歴史画、宗教画など様々なジャンルの作品を800ほど制作したが、特に有名なのは農民を描いた風俗画である。酔っ払った人々の乱痴気騒ぎ、結婚式、ピクニック、意地悪をされて泣く子供の姿などをユーモラスに描いている。また、教訓的な寓話やことわざを題材にしたことも多い。彼は兼業で居酒屋を経営しており、そこで人々を観察していたと思われる。
▼ 『聖ニコラウスのお祭り』 ヤン・ステーン

▼ 『恋煩い』 1665-67 ヤン・ステーン

◆その他の作品
















