シンガポール(2) ラッフルズ上陸記念地、マーライオン公園
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シンガポール<2日目>
2013年4月5日(金)
①ラッフルズ上陸記念地 ②マーライオンパーク
◆今日は朝からシンガポール観光。
なんとか体調も戻り、●ラッフルズ上陸記念地、●マーライオン公園、植物園、そして夜はナイト・サファリと楽しめました。
●ラッフルズ上陸記念地と●マーライオン公園の位置

◆◇◆シンガポール市内観光
朝食後、チャイナタウン、ラッフルズ上陸記念地、マーライオン公園、サルタンモスク、スリ・マリアマン寺院などを観光した。
▼シンガポールの高層ビル①

▼シンガポールの高層ビル②

▼シンガポールの高層ビル③

◆◆ラッフルズ上陸地 Sir Raffles Landing Site
シンガポールをイギリス植民地として開発したスタンフォード ・ ラッフルズ 卿(Thomas Stamford Raffles)が1819年1月28日に初めてシンガプーラSingapura(「ライオンの町Lion City」を意味)のこの地に上陸した。ラッフルズ卿の白い像と共に有名な観光名所のひとつ。何もない未開地だったこの地を貿易の中継地点として繁栄させたラッフルズ卿の功績はとても大きく、現在でもシンガポーリアンに慕われているという。

1824年8月イギリス東インド会社はジョホールのフサイン・モハマド・シャー国王からこの島を買収した。その結果、シンガポールは1824年に正式にイギリス領となった。さらに1826年にシンガポールはペナンやマラッカとともにイギリス領インド所属の植民地となり、さらに、1832年には「海峡植民地」(~1946年)としてまとめられた。

その後、シンガポールは、1851年にインド総督の直轄植民地となり、1858年に(東インド会社の解散に伴って)インド省所管となり、さらに1867年4月1日にイギリス本国直轄植民地Crown Colonyとなった。

シンガポールは、1942年2月日本軍に占領されたが、終戦後の1945年9月イギリス軍政下に置かれた。1946年3月イギリス軍政が終わり、海峡植民地が解散した。1946年4月1日イギリス直轄植民地となった。1963年マレーシアとともにマレーシア連邦形成したが、1965年分離独立してシンガポール共和国となった。
▼ラッフルズの白い像

◆アジア文明博物館
シンガポール、東南アジア、西アジア、中国、南アジアと、大きく分けて5つのギャラリーが有り、アジア各地の芸術品や文化財を展示する博物館。
▼アジア文明博物館①

▼アジア文明博物館②


▼白蛇を首に巻いたおじさん登場

◆◆カベナ橋を渡り、マーライオン・パークへ







◆カベナ橋
歩行者のみが渡れる美しい吊り橋でコロニアル建築群のエリアにある、優美な吊り橋。
1868年に建造され、英領インド政府の元での海峡植民地における最後の知事、カベナ卿に因んで名付けられた。現在シンガポール川に架かる橋の中で、最も古いもの。
▼カベナ橋①

▼カベナ橋②

▼カベナ橋③

▼カベナ橋④



◆◇◆マーライオン・パーク
マーライオン・パークはシンガポール川河口附近にあり、真っ白なマーライオンが、循環する海水を海に向かって口から勢いよく吐き出している。
シンガポールの顔ともいえるマーライオン像だが、かつては「世界三大がっかり」などと言われていたことがあったが、2004年4月、マーライオンは現在の広々としたマーライオン・パークに移設され、観光客の記念写真も撮りやすくなった。
マーライオン像は、1972年に 「ライオンの頭部+魚の下半身」というユニークな形がフレーザー・ブルーナーによってデザインされ、彫刻家リム・ナン・センにより制作された。高さは8.6メートル、重さは70トン、制作期間はおよそ10ヶ月。
1972年9月15日、シンガポールの初代首相リー・クアンユー首相によって、マーライオンの除幕式が執り行われた。
なお、8.6mのマーライオンの後ろにいる、高さ2mのミニマーライオンもリム・ナンセン氏が制作したもの。
▼マーライオン①

▼マーライオン②

▼マーライオン③

▼マーライオン④

▼マーライオン⑤

▼マーライオン⑥

▼高さ2mのミニマーライオン

▼かわゆい!

◆夜のマーライオン ライトアップされた夜のマーライオンとラッフルズ・プレイスの夜景


▼植物園とマリーナベイ・サンズ

▼ナイト・サファリのショー

▼マリーナベイ・サンズの屋上プールとレーザー・ビーム

▼マリーナベイ・サンズのSands Sky Parkのカフェ・バーから眺めたシンガポールの夜景


明日はマレーシア領ジョホールバル観光のあと、深夜便で帰国の予定です。












