【織幡神社】 主祭神は武内宿禰
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自宅を出発。福間海岸を通過、神湊の海岸、鐘崎の海岸、波津の海岸までドライブしたあと、帰りに織幡神社、鐘崎漁港、神湊の渡船ターミナル、オテル・グレージュを散策してきた。
◆◇◆織幡神社
織幡神社(おりはたじんじゃ)は、福岡県宗像市鐘崎の鐘ノ岬にある神社である。
式内社(名神大)、旧県社で、現在は宗像大社の摂社である。
織幡宮ともいい、地元の住民からは「シキハン様」と呼ばれている。
主祭神として、中座に武内宿禰(たけうちのすくね)、西座に住吉大神(住吉三神)、東座に志賀大神(綿津見三神)を祀り、天照皇大神・宗像大神・香椎大神・八幡大神・壹岐真根子臣を配祀する。
▼武内宿禰と応神天皇(歌川国芳画)
▼織幡神社の狛犬と一の鳥居
『宗像大菩薩御縁起』によれば、
神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓征伐に際し、宗大臣(宗像大社の神)が「御手長」という旗竿に武内宿禰が織った紅白2本の旗をつけ、これを上げ下げして敵を翻弄し、最後に息御嶋(宗像の沖ノ島)に立てたという。
武内宿禰が旗を織ったのが当地で、その旗が祀られていると伝えられる。
武内宿禰は、「我死なば神霊は必ずやこの地に安ずべし」と伝言したといい、境内右手には武内宿禰が沓を残して昇天したと伝えられる沓塚がある。
◆【宗像五社】
宗像大社は玄海灘に浮かぶ沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、そして田島の辺津宮の三宮を総称して宗像大社というのだが、弘法大師が日本で最初に創建されたという真言宗最古の寺・鎮国寺とここ織幡宮を併せて宗像五社とされ、古くから朝廷の尊崇が厚かったそうだ。
▼参道
▼参道階段
▼主祭神武内宿禰の手植えの銀杏の子孫
◆◇◆織幡神社の社殿と拝殿
織幡宮は、かつて玄海灘のなかでも特に航海の難所とされた鐘崎の鐘ノ岬に位置し、異族襲来・海浜守護のためここに鎮座されたという。現在の社殿は元禄八年(1695)造立、拝殿は元禄十六年(1703)成就されたと古文書に記されている。
◆【万葉集と鐘の岬】
『 ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも われは忘れじ 志賀の皇神 』 (巻七・一二三〇)
歌意は
<航海の難所である鐘の岬を過ぎたとしても、わたしは忘れない。この志賀の神様を>
ちはやぶるとは狂暴なとか勢いが強い意味とされ、鐘の岬は現在の宗像市鐘崎の織幡(おりはた)神社が鎮座する岬で、対峙する地島との間の瀬戸は航海の難所だった。
志賀島から船出して奈良の都へ向かう官人が詠んだもの。
◆【源氏物語と鐘の岬(金の岬)】
『源氏物語』<玉鬘>に、玉鬘と乳母(めのと)たちが船旅で都から太宰府へ下る場面において、次のような一文がある。
金の岬過ぎて、「われは忘れず」など、世とともの言種になりて、かしこに到り着きては、まいて遥かなるほどを思ひやりて、恋ひ泣きて、この君をかしづきものにて、明かし暮らす。
【現代語訳】
金の岬(鐘ノ岬)を過ぎても、「我は忘れず」などと、明けても暮れても口ぐせになって、あちらに到着してからは、まして遠くに来てしまったことを思いやって、恋い慕い泣いては、この姫君を大切にお世話申して、明かし暮らしている。
◆織幡神社の社殿
▼織幡神社・社殿①
▼織幡神社・社殿②
▼織幡神社・社殿③
▼織幡神社・社殿④
▼織幡神社・社殿⑤
▼織幡神社・社殿⑥
◆小賀玉の木(緒霊樹)
境内には小賀玉(おがたま)という木があり、太古より玉串にはこの木が用いられていたらしく、今では宮崎県高千穂町にある天ノ岩戸神社とここのみ残る貴重な木だそうである。
また、織幡神社の裏山一帯は特徴のある暖帯林の林相を呈しており、県指定天然記念物であるイヌマキが数十本ある他シイ、ハマビワ、ヤブニッケイ、サンゴジュ、オノオレなど数十種類の樹木が見られるという。
◆織幡神社の拝殿
▼織幡神社の拝殿①
▼織幡神社の拝殿②
▼織幡神社の拝殿③
▼織幡神社の拝殿④
◆沓塚
境内右手には、主祭神の武内宿禰が沓を残して昇天したという沓塚がある。
◆今宮社
厄除けの今宮社
▼織幡神社から眺めた鐘崎漁港
◆沈鐘と巨石
【織幡宮の参道脇の巨石の物語】
『昔の人は、金崎は鐘崎でここには海の向うの国から来た釣鐘が沈んでいると語りつぎ信じてきた。そして、宗像興氏や黒田長政などその権力にまかせてこの釣鐘を引揚げようとしたが失敗に終わった。ところが大正八年に山本菊次郎なる人が万金を投じてこれを引揚げることに成功した。しかし、姿を現したのは釣鐘ではなくしてこのような巨石であった。人々はがっかりしたが、いまでも本当の釣鐘は海底に沈んでいるとの思いを捨てかねている。このような話は沈鐘傳説といって諸国に例があるがここのはそのもっとも有名なものである。“沈鐘と巨石”“夢と現実”まことに面白い郷土鐘崎の物語である。』
◆筑前鐘崎海女の像
▼織幡宮の参道の「筑前鐘崎海女の像」
【海女発祥の地 鐘崎】ここ鐘崎は、西日本の海女発祥の地で有名であり、古くは能登、長門、壱岐、対馬などへ出稼ぎに行き、各地に枝村が出来たそうである。
この石像はその功績をたたえ、航海安全と豊漁を祈念し平成7年4月に建てられた。
◆鐘ノ岬から望む玄海灘
参道近くの海岸からは玄海灘の素晴しい眺望を望むことが出来る。
▼玄海灘の風景
▼玄海灘と地ノ島