2013年 08月 30日
【宇佐神宮】 その2 菱形池、御霊水、下宮
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◆◇◆宇佐神宮
宇佐神宮(うさじんぐう)は、大分県宇佐市にある神社。
大分県北部、国東半島付け根に立つ御許山(標高647m)山麓に鎮座する。
全国に約44,000社ある八幡宮の総本社である。石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つ。通称として宇佐八幡・宇佐八幡宮とも呼ばれる。
本殿は小高い丘陵の小椋山(亀山)山頂に鎮座する上宮とその山麓に鎮座する下宮とがあり、その周りに社殿が広がっている。
◆菱形池へ


◆亀山神社
上宮が鎮座している山を『亀山(小椋山)』というが、この亀山の神の「大山祗神(=大山積神=おおやまつみのかみ)を祀っているのが亀山神社。この神様は、伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の子供らしい。亀山神社の基礎は、社名のとおり「亀」になっている。


◆菱形池への階段の坂を下りていく・・・






◆◇◆菱形池
菱形池のほとり一帯は、欽明天皇32年(571年)に応神天皇のご神霊である八幡大神(はちまんおおかみ)が顕現された御神域であり、菱形池は古くから霊池として有名である。
『菱形池』という名称の由来は、この地が宇佐三山に囲まれた菱形(三角形)であるところから来ているらしい。
宇佐の三山は、宇佐神宮の上宮が鎮座する小椋山(亀山)、宇佐神宮の旧社地で現在は大尾神社が鎮座する大尾山(おをやま)、宇佐神宮の下宮が鎮座する宮山(みややま)で、この宇佐三山の総称を菱形山といい、この山の間にある池だから菱形池というらしい。
「菱形」の名称の由来は「この峰の体。菱の角のごとし。」(『八幡宇佐宮御託宣集』)とあり、菱とは四角形ではなく、水生植物の菱(ヒシ)の実で三角形のことらしい。
▼菱形池①

▼菱形池②

▼菱形池③

▼菱形池④

▼菱形池⑤

▼菱形池⑥

◆能楽殿



◆水分神社(みくまり・じんじゃ)
菱形池、御霊水前の小島に鎮座され、中島の竜宮様とも云われる。
御祭神は水を司る五祭神を祀る。
高靇神(たかおかみのかみ)、天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)、天汲匏持神(あめのくひざもちのかみ)、国汲匏持神(くにのくひざもちのかみ)の五祭神を祀る。
菱形池の東奥に小さな島があって、その中央付近に水分(みくまり)神社が鎮座している。
▼小島に架かる小さな一本橋。

▼この小さな石橋を歩いて水分神社(みくまり・じんじゃ)へ


◆水分神社(みくまり・じんじゃ)

【八幡大神ゆかりの伝承】
◆鍛冶翁(かじのおきな)
欽明天皇の29(569)年、宇佐神宮境内の菱形池のほとりの泉のわくところに、ひとつの身体に八つの頭という奇異な姿の鍛冶をする翁があらわれて、この姿を見た者はたちまち病気になったり死んだりしました。
大神比義(おおがのひぎ)が見に行くと老人の姿なく、かわりに金色の鷹(たか)が見えました。比義が『誰かによって鷹に変えられたのか、自分の意志で鷹になったのか』と問うと、鷹は金色の鳩となって比義の袂の上にとまりました。
神が人を救済されようとして自ら変身されたことを知った比義が、3年あまり断食をして祈り続けたところ、ついに欽明天皇32(571)年2月初卯の日に、この泉のかたわらの笹の上に光かがやく3才の童子があらわれ『われは誉田の天皇広幡八幡麿(ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろ)なり。
わが名は護国霊験威力神通大自在王菩薩(ごこくれいげんいりょくじんつうだいじざいおうぼさつ)で、 神道として垂迹せし者なり』と告げられました。
そしてたちまち黄金の鷹になって駅館川(やっかんがわ)の東岸の松の上にとどまったといわれます。 そこに和銅元年(708)鷹居社をつくり八幡さまを祀り、のち霊亀2年(716)小山田の林に移られ、ここに小山田社を造営。神亀2年(725)年に現在の社地、亀山(菱形山とも小椋山ともいう)に移されて八幡大神様が鎮座されたのが宇佐神宮の創立です。
・・・・・・『宇佐神宮HP』より拝借
◆御霊水への道







◆◆御霊水(ごれいすい)
上宮の裏、菱形池のほとりに三つの霊泉がある。
これを御霊水といい、八幡大神(応神天皇のご神霊)が御現れになったところであるとされている。
ここには八角の影向石(ようごうぜき)があり大神が神馬に召され、天翔けられたと伝えられる馬蹄の跡がある。また、奈良朝の末ごろ、社僧の神息(しんそく)が御霊水の前に三個の井戸を掘り、この水で八幡大神の神威を頂いて刀を鍛えた。これが社宝となっている『神息の刀』と伝えられている。






▼菱形池と御霊水の散策が終わり、下宮へ・・・・

◆下宮への道



◆◇◆下宮 御炊宮(みけみや)
下宮は、嵯峨天皇の弘仁年間(810年代)勅願によって創建され、上宮の御分神をご鎮祭になったことがきっかけで、八幡大神様・比売大神様・神功皇后様は上下御両宮の鎮座となった。
「下宮参らにゃ片参り」と云われる所以。下宮の八幡大神は、御饌(みけ)を司るとともに、農業や一般産業の発展、充実をお守りになるご神威を発揮される。古くから日常の祭祀には、とくに国民一般の祈願や報賽(ほうさい)が行われてきた。
【御祭神】
一之御殿:八幡大神 (はちまんおおかみ) - 応神天皇
二之御殿:比売大神 (ひめのおおかみ) - 宗像三女神
三之御殿:神功皇后 (じんぐうこうごう) - 息長足姫命
祭神は上宮と同じだが、造りは流造であり、八幡造りではない。



▼下宮の拝殿・本殿① 奥(左手)から一之御殿、二之御殿、三之御殿

▼下宮の拝殿・本殿②

▼下宮の拝殿・本殿③

▼下宮の拝殿・本殿④

▼下宮の拝殿・本殿⑤

▼下宮の拝殿・本殿⑥

▼下宮の前にある「兆竹(さましだけ)」


▼下宮の神門①

▼下宮の神門②


▼下宮から呉橋へ

◆呉橋(くれはし)
呉橋は西参道にある屋根がついた神橋。昔、呉の国の人が掛けたともいわれ、この名がある。鎌倉時代より以前からある橋。
「影みれば 月も南に寄藻川 くるるに橋を 渡る宮人」
上記の歌は、後伏見天皇正安3年(1301)の勅使、和気篤成朝臣のもの。



▼呉橋の隣の神橋

◆宇佐神宮参拝の帰路








◆表参道商店街にて
▼宇佐出身の大横綱・角聖の双葉山
▼はも天

▼はも丼

▼参拝の最後に食したブルーベリー・ソフト

宇佐神宮(うさじんぐう)は、大分県宇佐市にある神社。
大分県北部、国東半島付け根に立つ御許山(標高647m)山麓に鎮座する。
全国に約44,000社ある八幡宮の総本社である。石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つ。通称として宇佐八幡・宇佐八幡宮とも呼ばれる。
本殿は小高い丘陵の小椋山(亀山)山頂に鎮座する上宮とその山麓に鎮座する下宮とがあり、その周りに社殿が広がっている。
◆菱形池へ


◆亀山神社
上宮が鎮座している山を『亀山(小椋山)』というが、この亀山の神の「大山祗神(=大山積神=おおやまつみのかみ)を祀っているのが亀山神社。この神様は、伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の子供らしい。亀山神社の基礎は、社名のとおり「亀」になっている。


◆菱形池への階段の坂を下りていく・・・






◆◇◆菱形池
菱形池のほとり一帯は、欽明天皇32年(571年)に応神天皇のご神霊である八幡大神(はちまんおおかみ)が顕現された御神域であり、菱形池は古くから霊池として有名である。
『菱形池』という名称の由来は、この地が宇佐三山に囲まれた菱形(三角形)であるところから来ているらしい。
宇佐の三山は、宇佐神宮の上宮が鎮座する小椋山(亀山)、宇佐神宮の旧社地で現在は大尾神社が鎮座する大尾山(おをやま)、宇佐神宮の下宮が鎮座する宮山(みややま)で、この宇佐三山の総称を菱形山といい、この山の間にある池だから菱形池というらしい。
「菱形」の名称の由来は「この峰の体。菱の角のごとし。」(『八幡宇佐宮御託宣集』)とあり、菱とは四角形ではなく、水生植物の菱(ヒシ)の実で三角形のことらしい。
▼菱形池①

▼菱形池②

▼菱形池③

▼菱形池④

▼菱形池⑤

▼菱形池⑥

◆能楽殿



◆水分神社(みくまり・じんじゃ)
菱形池、御霊水前の小島に鎮座され、中島の竜宮様とも云われる。
御祭神は水を司る五祭神を祀る。
高靇神(たかおかみのかみ)、天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)、天汲匏持神(あめのくひざもちのかみ)、国汲匏持神(くにのくひざもちのかみ)の五祭神を祀る。
菱形池の東奥に小さな島があって、その中央付近に水分(みくまり)神社が鎮座している。
▼小島に架かる小さな一本橋。

▼この小さな石橋を歩いて水分神社(みくまり・じんじゃ)へ


◆水分神社(みくまり・じんじゃ)

【八幡大神ゆかりの伝承】
◆鍛冶翁(かじのおきな)
欽明天皇の29(569)年、宇佐神宮境内の菱形池のほとりの泉のわくところに、ひとつの身体に八つの頭という奇異な姿の鍛冶をする翁があらわれて、この姿を見た者はたちまち病気になったり死んだりしました。
大神比義(おおがのひぎ)が見に行くと老人の姿なく、かわりに金色の鷹(たか)が見えました。比義が『誰かによって鷹に変えられたのか、自分の意志で鷹になったのか』と問うと、鷹は金色の鳩となって比義の袂の上にとまりました。
神が人を救済されようとして自ら変身されたことを知った比義が、3年あまり断食をして祈り続けたところ、ついに欽明天皇32(571)年2月初卯の日に、この泉のかたわらの笹の上に光かがやく3才の童子があらわれ『われは誉田の天皇広幡八幡麿(ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろ)なり。
わが名は護国霊験威力神通大自在王菩薩(ごこくれいげんいりょくじんつうだいじざいおうぼさつ)で、 神道として垂迹せし者なり』と告げられました。
そしてたちまち黄金の鷹になって駅館川(やっかんがわ)の東岸の松の上にとどまったといわれます。 そこに和銅元年(708)鷹居社をつくり八幡さまを祀り、のち霊亀2年(716)小山田の林に移られ、ここに小山田社を造営。神亀2年(725)年に現在の社地、亀山(菱形山とも小椋山ともいう)に移されて八幡大神様が鎮座されたのが宇佐神宮の創立です。
・・・・・・『宇佐神宮HP』より拝借
◆御霊水への道







◆◆御霊水(ごれいすい)
上宮の裏、菱形池のほとりに三つの霊泉がある。
これを御霊水といい、八幡大神(応神天皇のご神霊)が御現れになったところであるとされている。
ここには八角の影向石(ようごうぜき)があり大神が神馬に召され、天翔けられたと伝えられる馬蹄の跡がある。また、奈良朝の末ごろ、社僧の神息(しんそく)が御霊水の前に三個の井戸を掘り、この水で八幡大神の神威を頂いて刀を鍛えた。これが社宝となっている『神息の刀』と伝えられている。






▼菱形池と御霊水の散策が終わり、下宮へ・・・・

◆下宮への道



◆◇◆下宮 御炊宮(みけみや)
下宮は、嵯峨天皇の弘仁年間(810年代)勅願によって創建され、上宮の御分神をご鎮祭になったことがきっかけで、八幡大神様・比売大神様・神功皇后様は上下御両宮の鎮座となった。
「下宮参らにゃ片参り」と云われる所以。下宮の八幡大神は、御饌(みけ)を司るとともに、農業や一般産業の発展、充実をお守りになるご神威を発揮される。古くから日常の祭祀には、とくに国民一般の祈願や報賽(ほうさい)が行われてきた。
【御祭神】
一之御殿:八幡大神 (はちまんおおかみ) - 応神天皇
二之御殿:比売大神 (ひめのおおかみ) - 宗像三女神
三之御殿:神功皇后 (じんぐうこうごう) - 息長足姫命
祭神は上宮と同じだが、造りは流造であり、八幡造りではない。



▼下宮の拝殿・本殿① 奥(左手)から一之御殿、二之御殿、三之御殿

▼下宮の拝殿・本殿②

▼下宮の拝殿・本殿③

▼下宮の拝殿・本殿④

▼下宮の拝殿・本殿⑤

▼下宮の拝殿・本殿⑥

▼下宮の前にある「兆竹(さましだけ)」


▼下宮の神門①

▼下宮の神門②


▼下宮から呉橋へ

◆呉橋(くれはし)
呉橋は西参道にある屋根がついた神橋。昔、呉の国の人が掛けたともいわれ、この名がある。鎌倉時代より以前からある橋。
「影みれば 月も南に寄藻川 くるるに橋を 渡る宮人」
上記の歌は、後伏見天皇正安3年(1301)の勅使、和気篤成朝臣のもの。



▼呉橋の隣の神橋

◆宇佐神宮参拝の帰路








◆表参道商店街にて
▼宇佐出身の大横綱・角聖の双葉山

▼はも天

▼はも丼

▼参拝の最後に食したブルーベリー・ソフト

by yascovicci
| 2013-08-30 08:44
| 宇佐神宮・参拝












