ボリビアの旅(42) 【世界遺産】 ティワナク遺跡 TIWANAKU
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2013年3月21日(木)<ボリビアの旅> 6日目
【ラパス散策】
①コロニアルな雰囲気のハエン通り Calle Jaen ②ムリーリョ広場 Plaza Murillo
③サガルナガ通りとリナレス通りとサン・フランシスコ寺院とエケコ人形
④ラ・カソナ LA CASONA でランチ
【世界遺産】ティワナク遺跡
▼ティワナク遺跡

◆朝9時にラパス・エルアルト空港に到着。エル・アルト空港からラパス市内へ向かう途中、パチャママ展望台に駐車し、すり鉢状のボリビアの首都ラパスの風景を眺める。
ラパス市内へ入り、ハエン通り、ムリーリョ広場、リナレス通り、サガルナガ通りなどを散策する。
このお昼はラ・カソナ LA CASONA でランチ。
ティワナクランチのあと、ラパスから約72kmの距離にある世界遺産ティワナク遺跡を見学。
標高は約3900m。
◆◇◆ティワナク遺跡
ティワナク遺跡は、ラ・パス市から約72km、ティティカカ湖沿岸から内陸へ約17kmほど入ったティワナク村の外れに位置し、遺跡全体の大きさは4k㎡にも及ぶが、発掘が進んでいるのはその30%に過ぎないとされている。標高は約3900m。
ティワナク文化は、紀元前200年から紀元後1200年頃まで続き、最盛期は600~1000年頃でティティカカ湖畔一帯に大きな影響を与えた。そしてここは、ビラコチャの神をはじめとする多くの神々を崇拝する宗教都市だったと推測されている。
標高3900mの高地に誰が何の目的で、この壮大な都市を築いたのか。そして、人間の形をしたモノリート(立像)は何を意味するのかなど、遺跡はまだまだ謎に包まれている。
▼ティワナク遺跡の入口

▼遺跡入り口の案内看板

▼ティワナク遺跡の立体配置模型
この模型部分は遺跡の中心部である祭祀センター近辺だけであり。現在、発掘が進んでいるのは古代都市ティワナクの約30%程度だそうだ。

◆アカパナ Akapana (ピラミッド)
遺跡を見下ろす赤茶けた山がアカパナのピラミッド群。アカパナは破壊されて、ただの土の丘になっており、一部だけ石壁が復元されている。
ピラミッドは7段の基壇からなり、南北方向の最大幅の部分が約 203m、東西方向は約 192mで、高さは約 16mと推定されている。
ピラミッドの頂上はへこんでおり、もともとから凹みを持つ構造だったが、スペイン人が黄金探しのためさらに広げてしまった。また、その周囲には部屋状の構造物の遺構が露出している。また、ピラミッド内部に複雑な水路が走っていたことが近年の調査で明らかにされている。ピラミッドのふもとからは頭のない人の遺体が出土しており、人身供犠が行われていたことが示唆されている。
かつて頂上部には貯水池と食糧倉庫があり、要塞の役目も果たしていたといわれる。
▼アカパナ Akapana①

▼アカパナ Akapana②

▼アカパナ Akapana③

▼アカパナ Akapana④

▼アカパナ Akapana⑤

▼アカパナ Akapana⑥

▼アカパナ Akapana⑦

▼アカパナ Akapana⑧

▼アカパナ Akapana⑨

▼アカパナ Akapana⑩

▼アカパナ Akapana⑪

▼アカパナ Akapana⑫

◆◆カラササーヤ Kalasasaya
遺跡の中心だったとされるカラササーヤは、長方形の巨石と角石を組み合わせた約130x120mの長方形の壁に囲まれた構造物。そのモザイクを思わせる石組みは、インカ末期の石組技術と比べてひけをとらない見事さである。カラササヤの壁は、巨大で長く平たい割り石を、やや小型の切石で囲む形で作られている。
現在のカラササヤは、かなり間違って復元されているという。カラササヤの中に有名な「太陽の門」があるが、これは原位置ではなく、本来の場所は不明とされている。
モノリート(石像)の多くは1960-70年代の発掘で出土したものである。遺跡の東側には、漆喰のあとと思われるものも残っており、このあたりに小さな部屋状の建造物があったことが指摘されているが、詳細はわかっていない。

▼カラササーヤ Kalasasaya①

▼カラササーヤ Kalasasaya②

▼カラササーヤ Kalasasaya③

▼カラササーヤ Kalasasaya④

▼カラササーヤ Kalasasaya⑤

▼カラササーヤ Kalasasaya⑥

▼カラササーヤ Kalasasaya⑦

▼カラササーヤ Kalasasaya⑧

▼カラササーヤ Kalasasaya⑨

▼カラササーヤ Kalasasaya⑩

▼カラササーヤ Kalasasaya⑪

◆ポンセの石像とエルフライレの石像
カラササーヤの内部には「モノリート」と呼ばれる石像がある。石像の多くは1960~70年代の発掘で出土したもの。モノリートは数多く出土されているが、博物館や他の所へ分散して、現在カラササーヤの内部にはポンセの石像とエルフライレの石像の2体しかないが、代表的な石像と思われている。両方とも発見者の名前が付けられている。
▼エルフライレの石像
「エル・フライレ」はかなり傷んだモノリートだが、「海の向こうから来た人」を表現したのではないかといわれている。

▼また「エル・フライレ」は、全身の模様が、魚や甲殻類などが多いため、湖水信仰の象徴ともいわれている。いずれにしても海や湖に関係した神像らしい。

▼ポンセの石像
「ポンセ」と名付けられた石像はとても保存状態が良い。手の特徴から男性の神だそうだ。手には杖を持ち、背中には両手に杖を持った太陽神の絵が描かれている。「ポンセ」は全身に細かい模様が彫られており、指の関節や爪まで掘ってあり、柄のパンツをはいていて、全体的に丁寧に作られている。
▼ポンセの石像①

▼ポンセの石像②

▼ポンセの石像③

◆太陽の門 Puerta del Sol
カラササーヤの隅の方には一枚岩をくり抜いて作られた「太陽の門」がある。
ボリビア国のパスポートにも、ティワナク遺跡の「太陽の門」が描かれており、ボリビアのシンボル的存在となっている。
幅が約3.75m、高さが約3m、重さは約5トンあるが、実際に見ると余り大きな門ではない。
門の上部にはビラコチャ神と鳥人のレリーフがある。両手に杖を持つ太陽神であるビラコチャを中心に、鳥の羽を持つ戦士らしき姿の鳥人が、左右に8個×3段、合計48個彫られている。これはカレンダーだったと言う説も・・・
この「太陽の門」は元々ここに有った物ではなくアカパナ(ピラミッド)へ上がる正門として建っていたらしい。
ティワナク遺跡の修復は、とても不正確なもので、正確なデータを取らずに 手当たり次第に石を積んだ場所がかなりあるという。
▼太陽の門の案内プレート

▼太陽の門 Puerta del Sol ①

▼太陽の門 Puerta del Sol ②

▼太陽の門 Puerta del Sol ③

◆◆半地下神殿 Templo Semisubterraneo
カラササーヤの東側には半地下に成っている四角い広場がある。ここは「半地下神殿」と呼ばれている。
半地下宮殿の中央には、ハイエルダールの『コンチキ号漂流記』の名前の由来となったコンチキ神の立像が立っている。
また内側の四方の壁には それぞれ違った石の人面が180個もはめ込まれている。この人面はビラコチャ神が作った各種族の顔だとか、戦争で倒した敵の顔とかの説があるらしいが、いずれにしても、ティワナクは多くの種族との交流があったようだ。

▼半地下神殿①

▼半地下神殿②

▼半地下神殿③

▼半地下神殿④

▼半地下神殿⑤

▼コンチキ神の立像①

▼コンチキ神の立像②

▼コンチキ神の立像③

▼コンチキ神の立像④

▼石の人面①

▼石の人面②

▼石の人面③

▼夏至と冬至に太陽の光が差し込むという門

▼石の人面④

▼コンチキ神の立像⑤

▼綺麗に切られ組み上げられた垂直な石の壁

▼半地下神殿

◆ティワナク村から博物館へ





◆◆ティワナク博物館 Museo Tiahuanach
ティワナク遺跡の入口のすぐそばにある博物館。遺跡から発掘された石像や石の門などを展示している。
最大の見どころは、
カラササーヤから発掘された、高さ7m30㎝のモノリートの“ベネット Benett”。
かつてはラパスの野外博物館に置かれていたが、風雨による傷みが進行したため、2004年2月にこの博物館内に移された。内部の写真撮影は禁止。
この日、高さ7m30㎝のモノリートの“ベネット Benett”の前には髪の長い霊媒師のような一人の老女が座り、一心不乱に祈りを捧げていた。周りは異様なネガティブなエネルギーと暗くて重い雰囲気に包まれていた。老女の発する奇声以外は沈黙が支配していた。

▼ティワナク博物館①

▼ティワナク博物館②

▼ティワナク博物館③













