高千穂 【高千穂神社】
|
前日の夜は、稲佐山の展望台から長崎の夜景を鑑賞。
この日は稲佐山のホテル「アマンディ」のレストランで朝食のあと、
長崎から宮崎の「神話の里」高千穂へ出発。
午後2時頃到着し、まずは遊歩道を歩き、高千穂峡散策へ
1時間ほど高千穂峡を満喫したあと、天岩戸神社を参拝。
宮司さんの案内で天岩戸神社の拝殿の背後の拝観所から「天岩戸」を遥拝した。
そのあと天安河原を散策。
次に荒立神社を参拝。そのあと高天原遥拝所と四皇子峰を散策した。
次に天孫降臨の地として伝えられる槵觸の峯にある槵觸神社(くしふるじんじゃ)を参拝。
最後に夕暮れ迫る高千穂神社を参拝した。
▼高千穂神社・周辺マップ (クリックで拡大)
高千穂観光マップ
◆◇◆高千穂神社
高千穂神社は、天孫降臨の地といわれる高千穂にある神社で、「天津彦火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)」など天孫降臨に関連した「高千穂皇神」ををお祀りしている。
「高千穂皇神」とは日本神話の日向三代と称される皇祖神とその配偶神(天津彦火瓊瓊杵尊と木花開耶姫命、彦火火出見尊と豊玉姫命、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と玉依姫命)の6柱の神様の総称である。
伊勢神宮と同じく第11代天皇・垂仁天皇(すいにんてんのう)(1世紀)の時代に創建されたと伝えられている。
古くは高千穂皇神社として「続日本後記」「三代実録」にもその記述があり、
平安時代以来1200年以上の歴史を持つ古社。
高千穂郷八十八社の総社である高千穂神社。その神社本殿と所蔵品の鉄造狛犬一対は国の重要文化財に指定されている。
境内にある神楽殿では、毎晩20時~21時に観光客向けに高千穂神楽を奉納している。
◆高千穂神社・参道
▼参道の狛犬①
▼参道の狛犬②
◆◆高千穂神社・拝殿・本殿
本殿は梁間2間の五間社流造銅板葺で棟に千木・鰹木を置く。安永7年(1778年)に延岡藩主・内藤政脩を大檀那として造替された九州南部の代表的な大規模社殿であり、東側の脇障子に彫刻された鬼八を退治する三毛入野命の神像といった当地の伝説や祭礼に関する彫物を施し、西側脇障子の部分には稲荷社を設ける独特の形式などの地方色も顕著に有していることから、国の重要文化財に指定されている。
【三毛入野命(ミケヌノミコト)と鬼八(きはち)伝説】
神武天皇の兄、三毛入野命(ミケヌノミコト)は、神武建国の途中でもとの国、高千穂に御帰還され、留守中にこの地方を支配していた鬼八(きはち)荒神との間で激しい戦いが繰り拡げられた。
鬼八荒神は命に退治されましたが再び生き返り、抵抗して暴威をふるったので、命は神体を三つに切って三箇所にわけて埋めた。この場所はその首塚と伝えられている。
◆三毛入野命(ミケヌノミコト)と鬼八の彫刻
高千穂神社の祭神である三毛入野命(ミケヌノミコト)が、荒ぶる神である「鬼八(きはち)」を退治したという伝説をもとにつくられた彫刻 (高千穂神社本殿回廊)
◆鉄造狛犬一対
神社本殿にある鎌倉時代、源頼朝が奉納したとされる鉄造狛犬一対。
鎌倉期の名作で、昭和46年国の重要文化財に指定された。
◆高千穂宮鎮石(しずめいし)
【高千穂宮鎮石(しずめいし)の由来】
第11代 垂仁天皇の勅命により我国で始めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建された際、用いられた鎮石と伝えられます。
尚、住吉関東鹿島神宮御社殿御造営の際、高千穂宮より鎮石が贈られ同宮神域に要石として現存しています。
またこの石に祈ると人の悩みや世の乱れが鎮められると言われています。(現地案内板)
◆秩父杉
境内には、800年程前、鎌倉将軍源頼朝の命で秩父の畠山重忠が代参し植えたとされる「秩父杉」がある。畠山重忠は高千穂神社への参拝だけを目的に高千穂を訪れたという。(町の天然記念物・みやざきの巨樹百選)
樹齢800年、幹周715cm、樹高55m
◆高千穂神社 夫婦杉
この二本の杉は夫婦杉と申しまして根元が一つになって如何なる事があっても別れられない形を現しております。この廻りを手をつないで3回廻ると夫婦、友人、睦まじく家内安全で子孫は繁昌の三つの願いが叶ふと伝わっております。
夫婦、友人、婚約者の方が手をつないで廻っている姿が絶えません。(現地パネルより引用)
高千穂神社の参拝が終わって・・・・今日の宿「ぶどうの樹」へ向かう。