霧島と佐多岬の旅 (1) 霧島神宮
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高千穂の旅のあと、霧島にいってみたいと思っていたので、10月13日(日)、14日(月)に霧島と本土・九州最南端の佐多岬に行ってきた。
霧島では、「霧島神宮」を参拝。次に天降川沿いにある日当山温泉の「野鶴亭」の露天風呂の湯に浸かり、さらに坂本龍馬とお龍が新婚旅行で行った「塩浸温泉」の龍馬公園へ、この日の宿は「祝橋温泉旅館」、夕食は「祝橋亭」。
翌日は旅館を8時に出発。一路九州最南端の佐多岬を目指す。途中、桜島や開聞岳の雄姿を眺める。
佐多岬到着が12時30分。岬の先端まで歩き、佐多岬灯台を眺める。出発が14時。そして福岡の自宅へ。帰り着いたのが夜の10時。走行距離は2日間で880kmだった。
▼福岡→霧島ルート
◆えびの高原と高千穂峰の風景
福岡を9時出発。走行距離約280 km、所要時間3 時間30分 九州自動車道えびの到着が午後1時30分。
高千穂峰の姿を見て、霧島に来た実感が湧いてきた。
▼えびの高原からの風景①
▼えびの高原からの風景②
▼えびの高原からの風景③
◆◇◆霧島神宮
天照大神は、孫であるニニギノミコトに、高天原から降りてこの国を治めよと命令した。 ニニギノミコトは三種の神器を譲り受け七人のお供の神と一人の道案内(猿田彦命)の神と共に 高千穂の峰に降りた。これが天孫降臨の神話の由来。
このニニギノミコトを祀ったのが霧島神宮で6世紀に造られた。現在の社殿は1715年に島津藩主の島津吉貴が建立したもの。
社殿はいずれも朱塗りの華麗なもので、特に本殿は内部も豪華に装飾され外部だけでなく内部までこのように装飾をこらしたものは珍しく、 「西の日光」と言う別名を持っている。
また、神木の杉は樹齢約800年と推定され、南九州の杉の祖先ともいわれている。
▼大鳥居
▼徳富蘇峰の「神聖降臨地」の碑
▼徳富蘇峰が1952年(昭和27年)に詩詠・揮毫した
「神聖降臨地 乾坤定位時 煌々至霊気 萬世護皇基」という五言絶句が刻まれている。
▼招霊木(オガタマの木)
巫女が持つ神楽鈴の原型となる実をつける木。
▼三の鳥居
▼さざれ石(細石、さざれいし)
もともと小さな石の意味で長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化したものを指す。
▼このさざれ石は石灰石が雨水に溶解してその石灰分をふくんだ水が時には粘着力の強い乳状体となり、地下において小石を集結して次第に大きくなる。やがてそれが地上に顕れて国歌に詠まれる如く、「千代に八千代に 年をへてさざれ石の巌となりて苔のむすまで・・・」という状態になるらしい。
▼展望所からの桜島の眺め
1866年(慶応2年)春、坂本龍馬と妻おりょうは新婚旅行の途中、霧島神宮を参詣した。
▼参道の石段①
▼参道の石段②
▼三の鳥居
◆◆霧島神宮
欽明天皇の時代(6世紀)、慶胤なる僧侶に命じて高千穂峰と火常峰の間に社殿が造られたのが始まりとされる。
しかし、火山の麓にあるという立地のためたびたび炎上する。天暦年間には性空により瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に遷されるが、ここもたびたび噴火の巻き添えで炎上する。文明16年(1484年)、島津忠昌の命により兼慶が再建したのが、現在の霧島神宮である。
但し、建物はその後も幾度も炎上し、現在の社殿は正徳5年(1715年)、島津吉貴の奉納により再建した物である。
▼御神木(霧島メアサ)
御神木の杉は樹齢約800年と推定され、南九州の杉の祖先ともいわれている。
樹高 : 35m 幹回り: 7.3m
◆霧島神宮本殿
▼勅使殿(ちょくしでん)
大きな唐破風(からはふ)を持つ豪華な造りになっている。
▼大勢の参拝の人々の列
▼手前から勅使殿、拝殿、幣殿
▼手水舎(てみずや)と水盤
▼勅使殿 (この日は拝殿になっていた。)
▼勅使殿と本来の拝殿は登廊下で繋がっている。
▼勅使殿の朱色が鮮やか。
▼絵馬
▼門守神社
▼屋根の上の「千木」は水平にカットされている。