【平戸】・・・平戸城、オランダ商館、平戸ザビエル記念教会
|
本土最西端の神崎鼻と平戸へ、ドライブの旅に出る。
自宅を午前11時に出発、神崎鼻到着が午後1時40分。
神崎鼻散策のあと日蘭交流の港町平戸へ走る・・・
平戸では、平戸城、オランダ商館、平戸ザビエル記念教会を訪問した。
▼神崎鼻から平戸へのルート
【平戸】
平戸市は、長崎県北西部の平戸島とその周辺を行政区域とする市で長崎県と九州本土の市としては最西端に位置する都市。旧平戸藩松浦氏の城下町で、鎖国前は中国やポルトガル、オランダなどとの国際貿易港だった。
【平戸の歴史】
◆室町時代1550年(天文19年) - 松浦隆信が南蛮貿易に進出、平戸港にポルトガルの貿易船が初めて入港。
同年9月にはフランシスコ・ザビエルが平戸に来航し、キリスト教(カトリック)の布教を始める。
1561年(永禄4年) - 宮ノ前事件が発生、翌年からポルトガル船の貿易港が大村藩領の横瀬浦(現・西海市西海町横瀬)に替わる。
◆安土桃山時代1584年(天正12年) - イスパニアの貿易船が入港。
1600年(慶長5年) - 松浦鎮信が徳川家康より6万3千石の領地を安堵され、平戸藩が確立。
◆江戸時代1609年(慶長14年)- オランダが商館を設置。
1613年(慶長18年)- イギリスが商館を設置。
1615年(元和元年)- イギリス商館長リチャード・コックス、日本で初めてサツマイモを栽培する。(当時の沖縄にあった琉球王国では、それ以前の1605年に初めて栽培されたとされている)
1620年(元和6年)- 三浦按針(ウィリアム・アダムス)、平戸で病没。
1623年(元和9年) - イギリス商館閉鎖。
1641年(寛永18年)- オランダ商館が長崎の出島へ移転、平戸での南蛮貿易が終焉を迎える。
1707年(宝永4年)- 亀岡城(平戸城)が竣工する。
◆◇◆平戸城
【平戸城】
平戸城は、別名亀岡城と呼ばれ、平戸瀬戸に突出した平山城である。 第29代天祥鎮信は、平戸古城の再築(日の岳城を1599年築城、1613年焼く)を図り、山鹿素行と共に設計を行い、1704年30代雄香棟が着工、1718年(享保3)31代松英篤信の時亀岡城として落成した。 山鹿流による築城は他には聞かれない。 現在の城は1962年(昭和37)復元(天守閣三層五階建)され、その後櫓も随時整備された。
城内には平戸藩時代の遺品や文化財などを展示している。また、天守閣からの眺めが素晴らしく、黒子島の原生林(天然記念物)や平戸大橋が望める。
▼ 亀岡公園の案内図
▼この坂を登って平戸城へ
▼北虎口門
◆平戸城内へ
▼入城受付のすぐ傍にある「狸櫓」(たぬきやぐら) 正式名称は「多門蔵」
▼城内の道をぽれぽれと・・・
▼本丸前門
▼この石段を登ると天守閣
◆◆平戸城の歴史
鎌倉・室町時代にかけて、この地は水軍として名を馳せた松浦党の本拠であった。松浦家26代鎮信(しげのぶ)は1599(慶長4)年、亀岡に「日の岳城」を築いた。しかし徳川家康は、豊臣秀吉と親交が深かった松浦家に疑いのまなざしを向けた。鎮信はその疑いを払うために「日の岳城」を焼却、平戸6万1千7百石を守った。松浦家は以来約90年間を「御館(おたち)」で過ごし、その間、御館(現在の松浦史料博物館)が藩庁かつ藩主の私邸として使われた。
松浦家30代棟(たかし)となって幕府の許可のもと、1704(宝永1)年、「平戸城」の再築を開始、1718(享保3)年、完成した。これが今の平戸城(亀岡城)であり、本丸、二の丸、三の丸外郭により構成され、日の岳の輪郭が利用されている。この平戸城は山鹿素行の縄張によるもので、全国でも珍しい城と言える。
1871(明治4)年、廃藩置県により廃城、建物は現存する北虎口門・狸櫓を残して取り壊された。その後、1962(昭和37)年、本丸に三重五階の模擬天守などが復興されている。
▼平戸城①
▼平戸城②
▼平戸城③
▼平戸城④
▼平戸城⑤
▼平戸城⑥ 「見奏櫓」 けんそうやぐら
▼平戸城⑦ 天守閣と見奏櫓
◆◆平戸城内部の展示物
▼平戸城内部の展示物① 乙宮御神号鎧 35代平戸藩主熈が着用した鎧
▼平戸城内部の展示物② 遣唐使船の模型
遣唐使は舒明天皇(630)より以降、承和5年(838)まで12回入唐した。遣唐船は通常4隻で出発し、次の人々が乗った。
大使、福使、押使、持節使、判官、録事、造舶都匠、訳語、主神、医師、陰陽師、画師、史生、射手、船師、占部、音声長、鍛生、鋳生、柁師、水夫等500~600人である。
▼平戸城内部の展示物③ 遣唐使入唐航路
航路は初め朝鮮半島の沿岸を通る北路であった。中頃は薩南半島を島づたいに南下し、東シナ海を横断した南島路である。後期は田ノ浦から一気に揚子江付近に達する南路がとられた。
▼平戸城内部の展示物④ 足利尊氏
▼平戸城内部の展示物⑤ 大内義隆
▼平戸城内部の展示物⑥ 明治天皇
▼平戸城内部の展示物⑦ 中山愛子像
中山愛子(1818年(文化15年) - 1906年(明治39年)1月28日)は、江戸時代末期から明治時代の人物。明治天皇の外祖母。
▼平戸城内部の展示物⑧ 明治天皇御七夜産着
祐宮(さちのみや)誕生後の御七夜に孝明天皇から贈られた産着。身の丈約2尺3寸。絹の白羽二重で、両胸元に菊花紋章(16重弁)と松竹梅鶴亀がそれぞれ織り込まれている。
▼平戸城内部の展示物⑨ 太刀と脇差し
▼平戸城内部の展示物⑩ 平戸松浦典膳鎧兜
▼平戸城内部の展示物⑪ 平戸城北虎口門扉
1704(宝永4)年、築城当時のもので、北虎口門のくぐり戸であった。この門は、南側に位置する大手門に対し、北側の守りの要であった。
▼平戸城内部の展示物⑫ 平戸城古地図
◆◆平戸城・天主閣からの眺め
▼天守閣から望む「見奏櫓」と平戸瀬戸
▼平戸港①
▼平戸港②
▼丘の中腹にあるのが松浦資料博物館(平戸藩主松浦家の屋敷)
▼平戸観光交流センターと黒子島
▼ 左から昭和天皇皇后両陛下、ウィレム・アレキサンダー皇太子(オランダ)が宿泊された国際観光ホテル旗松亭、オランダ商館、平戸海上ホテル
▼照葉樹の原生林の黒子島
▼平戸サムソンホテル
▼白浜港と平戸大橋
▼平戸大橋
1977年4月4日に有料道路として開通した平戸島と田平町を結ぶ朱塗りの吊り橋。4年の歳月と、56億円をかけて架けられた。 橋は全長665m、トラス吊橋構造で主塔間465.4m、幅10.7m、海面上30mに吊られている。 大橋の下には公園があり、洋風庭園や遊具広場が整備されている。
2010年4月1日に生月大橋とともに通行料が無料になった。
◆◆オランダ商館
平戸オランダ商館は、1609年に江戸幕府から貿易を許可された東インド会社が、平戸城主松浦隆信公の導きによって平戸に設置した、東アジアにおける貿易拠点。
▼オランダ商館と奥が平戸海上ホテル
▼オランダ商館①
▼オランダ商館②
◆◆平戸ザビエル記念教会
平戸ザビエル記念教会は1931年(昭和6年)勝尾岳北山麓にに建設された。1971年(昭和46)に1550年のフランシスコ・ザビエルの平戸来訪(ザビエルは平戸を3回も訪問)を記念して教会脇に「ザビエル記念像」が建立され、教会の名称が「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」と呼ばれるようになったが、近年、正式名称を「平戸ザビエル記念教会」と改めた。
▼お告げのマリア像と平戸ザビエル記念教会
▼お告げのマリア像
▼平戸ザビエル記念教会①
▼平戸ザビエル記念教会②
▼平戸ザビエル記念教会③
▼平戸ザビエル記念教会④
▼聖フランシスコ・ザビエルの像
▼平戸ザビエル記念教会