2013年 12月 22日
出雲の旅 (2) 石見銀山世界遺産センターの石見銀山ツアー
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◆出雲の旅レポート
11月21日午後に自宅を出発、いわみ温泉・香遊館泊、
22日は早朝いわみ温泉を出発し石見銀山世界遺産センターへ。
石見銀山ツアー(9:30~12:00)に参加する。

◆◆石見銀山
石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)である。上述の最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めていたという。大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)と呼ばれた。
「石見銀山遺跡とその文化的景観」は、2007年、世界遺産(文化遺産)に登録された。

▼断魚渓付近

▼渡トンネル(国道261号)

▼石見銀山への道標


◆◆石見銀山世界遺産センター
石見銀山世界遺産センターは石見銀山の歴史や鉱山と暮らしの学習施設。ガイダンスコーナー、遺跡立体模型や遺跡クイズ等様々なプログラムでより深く石見銀山を体感できる。
石見銀山(大久保間歩入坑)ツアーの受付もここで行っている。
【石見銀山(大久保間歩入坑)ツアー】
平成25年4月1日~11月30日の金・土・日・祝日及び平成26年3月の金・土・日・祝日に実施。
(12月~2月は大久保間歩の休場のためツアー休止)


▼ツアー・ガイドさんのガイダンス

▼石見銀山の模型

◆◇◆石見銀山(大久保間歩入坑)ツアー
石見銀山では明治以前は坑道のことを間歩(まぶ)と呼んでいた。明治以後に坑道と呼ばれるようになり、明治を境に呼び名が変わった。
【大久保間歩 一般公開限定ツアー】
大人 3,800円/1人 小中学生 2,800円/1人 ※小学生未満は入場できない。
参加料内訳(大久保間歩入坑料・石見銀山ガイド料・バス代・保険料等含む)
▼石見銀山ツアー・ルート

石見銀山世界遺産センターから本谷口近くの駐車スペースまで専用のバスで行く。
本谷口からは徒歩で・・・


▼下金生抗・・・間歩番号169。


▼金生抗①・・・間歩番号168。
江戸時代に掘られた坑道。明治に入り、本谷の鉱石を清水谷へ運搬するために、同じ標高にある蔵之丞坑に坑道をつなげられた。

▼金生抗②・・・間歩番号168。

▼大久保間歩に到着

◆◆大久保間歩入坑
【大久保間歩】
石見銀山大久保間歩(間歩番号165)は江戸時代から明治時代にかけて大規模に開発された坑道で、500余りある「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道の中で一番大きな間歩である。
江戸時代と推定される縦横に走る坑道や、明治時代の開発で坑道を拡幅した様子などを見ることができる。江戸時代、初代銀山奉行の大久保長安が槍を持って馬に乗ったままで入ったという伝承から、大久保という間歩名になったといわれている。坑口付近には、明治時代の再開発の時に敷かれたトロッコの軌道の跡や削岩機による採掘の跡が残っている。
主坑道は坑口から約150m地点で落盤し、坑口から約50m地点と約110m地点で西に分岐している。坑内の天井までの高さは最も高いところで約5mを測り、大規模な坑道であることがわかる。坑口から約50mのところで、大久保間歩の下部に位置する金生坑と連結する明治時代の竪坑・斜坑があり、坑道の掘削技術の移り変わりを見ることができる。
大久保間歩管理棟でヘルメットと長靴・懐中電灯を借りて入坑する。














◆大久保間歩入坑ツアー終了

▼入坑管理棟でヘルメットと長靴・懐中電灯を返す。


▼大久保間歩から釜屋間歩へ、もう一登り・・・


◆◆釜屋間歩
【釜屋間歩】
備中出身の安原伝兵衛が夢のお告げで発見したという坑道 。慶長年間に発見され石見銀の産出量を飛躍的に増やした。発掘調査では、坑道付近の岩盤を加工した選鉱施設や階段跡が発見された。近くには露天掘跡もある。












石見銀山入坑ツアーが終わり、アルファGTで出雲大社へ向かう・・・
11月21日午後に自宅を出発、いわみ温泉・香遊館泊、
22日は早朝いわみ温泉を出発し石見銀山世界遺産センターへ。
石見銀山ツアー(9:30~12:00)に参加する。

◆◆石見銀山
石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)である。上述の最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めていたという。大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)と呼ばれた。
「石見銀山遺跡とその文化的景観」は、2007年、世界遺産(文化遺産)に登録された。

▼断魚渓付近

▼渡トンネル(国道261号)

▼石見銀山への道標


◆◆石見銀山世界遺産センター
石見銀山世界遺産センターは石見銀山の歴史や鉱山と暮らしの学習施設。ガイダンスコーナー、遺跡立体模型や遺跡クイズ等様々なプログラムでより深く石見銀山を体感できる。
石見銀山(大久保間歩入坑)ツアーの受付もここで行っている。
【石見銀山(大久保間歩入坑)ツアー】
平成25年4月1日~11月30日の金・土・日・祝日及び平成26年3月の金・土・日・祝日に実施。
(12月~2月は大久保間歩の休場のためツアー休止)


▼ツアー・ガイドさんのガイダンス

▼石見銀山の模型

◆◇◆石見銀山(大久保間歩入坑)ツアー
石見銀山では明治以前は坑道のことを間歩(まぶ)と呼んでいた。明治以後に坑道と呼ばれるようになり、明治を境に呼び名が変わった。
【大久保間歩 一般公開限定ツアー】
大人 3,800円/1人 小中学生 2,800円/1人 ※小学生未満は入場できない。
参加料内訳(大久保間歩入坑料・石見銀山ガイド料・バス代・保険料等含む)
▼石見銀山ツアー・ルート

石見銀山世界遺産センターから本谷口近くの駐車スペースまで専用のバスで行く。
本谷口からは徒歩で・・・


▼下金生抗・・・間歩番号169。


▼金生抗①・・・間歩番号168。
江戸時代に掘られた坑道。明治に入り、本谷の鉱石を清水谷へ運搬するために、同じ標高にある蔵之丞坑に坑道をつなげられた。

▼金生抗②・・・間歩番号168。

▼大久保間歩に到着

◆◆大久保間歩入坑
【大久保間歩】
石見銀山大久保間歩(間歩番号165)は江戸時代から明治時代にかけて大規模に開発された坑道で、500余りある「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道の中で一番大きな間歩である。
江戸時代と推定される縦横に走る坑道や、明治時代の開発で坑道を拡幅した様子などを見ることができる。江戸時代、初代銀山奉行の大久保長安が槍を持って馬に乗ったままで入ったという伝承から、大久保という間歩名になったといわれている。坑口付近には、明治時代の再開発の時に敷かれたトロッコの軌道の跡や削岩機による採掘の跡が残っている。
主坑道は坑口から約150m地点で落盤し、坑口から約50m地点と約110m地点で西に分岐している。坑内の天井までの高さは最も高いところで約5mを測り、大規模な坑道であることがわかる。坑口から約50mのところで、大久保間歩の下部に位置する金生坑と連結する明治時代の竪坑・斜坑があり、坑道の掘削技術の移り変わりを見ることができる。
大久保間歩管理棟でヘルメットと長靴・懐中電灯を借りて入坑する。














◆大久保間歩入坑ツアー終了

▼入坑管理棟でヘルメットと長靴・懐中電灯を返す。


▼大久保間歩から釜屋間歩へ、もう一登り・・・


◆◆釜屋間歩
【釜屋間歩】
備中出身の安原伝兵衛が夢のお告げで発見したという坑道 。慶長年間に発見され石見銀の産出量を飛躍的に増やした。発掘調査では、坑道付近の岩盤を加工した選鉱施設や階段跡が発見された。近くには露天掘跡もある。












石見銀山入坑ツアーが終わり、アルファGTで出雲大社へ向かう・・・
by yascovicci
| 2013-12-22 12:14
| 出雲大社と石見銀山の出雲の旅












