日本神話の旅 【日御崎神社】
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21日はいわみ温泉泊、
22日は午前中に石見銀山、午後から出雲大社と島根県立古代出雲歴史博物館、出雲泊、
23日は午前中に出雲大社、日御崎神社を参拝、午後から須佐神社を参拝。
◆出雲大社から日本海を眺めながら日御崎へ
▼日本海を眺めながら日御崎へ①
▼日本海を眺めながら日御崎へ②
▼日本海を眺めながら日御崎へ③
▼日本海を眺めながら日御崎へ④
▼日本海を眺めながら日御崎へ⑤
▼「筆投島」(ふでなげじま)の言い伝え
平安時代の画聖巨勢金岡(こせのかなおか)がこの島を描こうとしたところ、朝夕に色彩の変わるその姿を描くことができず、ついには筆を投げてしまったことから筆投島という名前がついたという言い伝えがある。
▼「筆投島」
▼日本海を眺めながら日御崎へ⑥
▼日本海を眺めながら日御崎へ⑦
▼日本海を眺めながら日御崎へ⑧
▼日御碕神社の姿・・・
日御碕灯台へ続くドライブウェイの途中、緑の山あいから神社全体を俯瞰する事ができる。
◆◆日御碕神社
花崗岩の鳥居の向こうには松林を背景に朱の楼門が鮮やかに映え、荘厳な雰囲気を漂わしている。
楼門をくぐると右手階段の上の小高いところに「神の宮」があり、こちらには素盞嗚尊(すさのおのみこと)が鎮座している。
出雲の国造りをした素盞嗚尊が根の国(黄泉国)より、「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞い、この神社背後の「隠ヶ丘」に止まったという。
その後、素盞嗚尊の五世の孫、天葺根命(あめのふきねのみこと)がこの地に素盞嗚尊を奉斎したといわれている。
日御碕神社は島根半島の西端に位置し、『出雲国風土記』に「美佐伎社」と記される古社。
神社は下の宮「日沈宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」という上下二社からなり、両本社を総称して『日御碕神社』と呼ぶ。
▼花崗岩の鳥居
▼『出雲国風土記』に「美佐伎社」(みさきのやしろ)と記されている。
▼国立公園日御崎案内図
▼日御崎神社御由緒
▼手水舎
▼楼門の鳩
◆日御崎神社・楼門
▼日御崎神社・楼門
◆◇◆日御碕神社
日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は島根県出雲市の日御碕に鎮座する神社。
出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集める。
上の本社/神の宮の主祭神は 素盞嗚尊(スサノオノミコト)
下の本社/日沈の宮(ひしずみのみや)の主祭神は天照大御神
上の本社(神の宮)は第3代天皇・安寧天皇13年(紀元前536年)、勅命により祀られ、
下の本社(日沈の宮・日沉の宮、ひしずみのみや)は天暦2年(948年)、
平安時代中期の第62代天皇・村上天皇勅命により祀られ、総称して日御碕大神宮とされた。
「日沈の宮」の名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社、である事による。
▼天照大御神を祀る「日沈の宮」の拝殿
◆◆日沈の宮(ひしずみのみや)
日沈の宮(ひしずみのみや)の主祭神は天照大御神(素盞嗚尊の姉)
下の本社(日沈の宮・日沉の宮、ひしずみのみや)は天暦2年(948年)、
平安時代中期の第62代天皇・村上天皇勅命により祀られ、上の本社神の宮とを総称して日御碕大神宮とされた。
この「日沈宮」は【伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん】 との神勅により祀ったのが始まりと言われている。
当初はこの言葉通り、この場所から程近い海岸(清江の浜)の経島(ふみしま)で天照大御神を奉斎していたが、その後天葺根命が経島にいかれた時、天照大神が降臨し「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」との神勅があり、現在の地に大御神を祭られたという。
日御崎神社は、神話に出てくる二人の神様が鎮座される、厄除けや縁結びをご利益とした霊験あらたかな神社。
◆◆日沈の宮の拝殿
「日沈の宮」の名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社、である事による。
▼日沈の宮の拝殿①
▼日沈の宮の拝殿②
▼日沈の宮の拝殿③
▼日沈の宮の拝殿④
▼日沈の宮の拝殿⑤
▼日沈の宮の拝殿⑥
◆◆日沈の宮の拝殿と本殿
現在の建物は江戸幕府3代将軍徳川家光の命により、松江藩主京極忠高が1634年(寛永11年)に着手し、1644年に松平直政が完成させた。
壁や木の切り口は白色で、柱や横木が丹塗(にぬ)りされた社殿は桃山時代の面影を残し、二つの本殿どちらも拝殿と本殿が続く権現造り。
上の宮(本殿・幣殿・拝殿・玉垣・宝庫・鳥居2基)と、下の宮(本殿・幣殿・拝殿・玉垣・禊所・廻廊・楼門・客人社2棟)からなり、これら社殿の全てと境内の石造建造物も含め、貴重な神社建築として全て国の重要文化財に指定されている。
両本殿内陣の内壁や天井には、狩野派や土佐派の絵師による密画が描かれ、本殿【蛙股(かえるまた)】(上を支えるための蛙の股のような建築部材)を中心とする彫刻は、竜虎をはじめ鶴亀や松竹梅、そして日光東照宮のように「見ざる、言わざる、聞かざる」の猿をかたどった見事な彫刻が施されている。
▼日沈の宮の拝殿と本殿①
▼日沈の宮の拝殿と本殿②
▼日沈の宮の拝殿と本殿③
▼日沈の宮の拝殿と本殿④
▼日沈の宮の拝殿と本殿⑤
◆◇◆神の宮(上の本社)
主祭神は 素盞嗚尊(スサノオノミコト)
第3代天皇・安寧天皇13年(紀元前536年)、勅命により祀られた。
素盞嗚尊(スサノオノミコト)を祀る上の本社/「神の宮」
▼「神の宮」 / 上の本社
◆◆神の宮の拝殿
出雲の国造りをした素盞嗚尊(スサノオノミコト)が根の国(黄泉国)より、「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞いこの神社背後の「隠ヶ丘」に止まったという。
その後、素盞嗚尊の五世の孫、天葺根命(あめのふきねのみこと)がこの地に素盞嗚尊を奉斎したといわれている。
▼「神の宮」の拝殿①
▼「神の宮」の拝殿②
▼「神の宮」の拝殿③
▼「神の宮」の拝殿④
▼昭和天皇の御製の和歌の記念碑
◆日御崎灯台
日御崎神社参拝のあと、ちょっと足を延ばして日御崎灯台へ
出雲日御崎灯台は基礎上43.7m・海面から63mで石積み灯台としては東洋一の高さといわれている。