日本神話の旅 【熊野速玉大社】 その2 拝殿(結宮、速玉宮)
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2012年11月23日
◆伊勢神宮参拝の翌日、熊野速玉大社、熊野那智大社、青岸渡寺を参拝。
那智の滝を眺めたあと、本土最南端の潮岬まで走る。
▼熊野速玉大社
▼拝殿と鈴門
◆◇◆熊野速玉大社
熊野速玉大社は、熊野三山のひとつとして全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮。今から約二千年ほど前の景行天皇五十八年の御世に、熊野三所権現が最初に降臨せられた元宮である神倉山から現在の鎮座地にお遷りになり、これより神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』とも呼ばれ、地名の由来ともなっている。
現在の社殿の形式が整ったのは平安時代初期という。
御祭神は、熊野速玉大神(イザナギノミコト)・熊野夫須美大神(イザナミノミコト)の夫婦神を主神とし、縁結びの神社としても有名。十二柱の神々を祀り上げ新宮十二社大権現として全国から崇敬 を集めている。
◆◇◆イザナギとイザナミ
◆◆イザナギ
イザナギ(伊弉諾、伊邪那岐、伊耶那岐)は、日本神話に登場する男神。イザナキとも。
『古事記』では伊邪那岐命、『日本書紀』では、伊弉諾神と表記される。
イザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)の兄であり夫。
アマテラスやスサノオ等多くの神の父神であり、神武天皇の7代先祖である。
天地開闢において神世七代の最後にイザナミとともに生まれた。国産み・神産みにおいてイザナミとの間に日本国土を形づくる多数の子を儲ける。その中には淡路島・本州・四国・九州等の島々、石・木・海(オオワタツミ・大綿津見神)・水・風・山(オオヤマツミ・大山津見神)・野・火など森羅万象の神が含まれる。
イザナミが、火の神であるカグツチ(軻遇突智、迦具土神)を産んだために陰部に火傷を負って亡くなると、そのカグツチを殺し(その血や死体からも神が生まれる)、出雲と伯伎(伯耆)の国境の比婆山に埋葬した。
しかし、イザナミに逢いたい気持ちを捨てきれず、黄泉国(よみのくに)まで逢いに行くが、そこで決して覗いてはいけないというイザナミとの約束を破って見てしまったのは、腐敗して蛆にたかられ、八雷神(やくさのいかづちがみ)に囲まれたイザナミの姿であった。その姿を恐れてイザナギは逃げ出してしまう。追いかけるイザナミ、八雷神、黄泉醜女(よもつしこめ)らに、髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、黄泉の境に生えていた桃の木の実(意富加牟豆美命、おほかむづみ)を投げて難を振り切る。
黄泉国と地上との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の地上側出口を大岩で塞ぎ、イザナミと完全に離縁した。その時に岩を挟んで二人が会話するのだが、イザナミが「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」というと、「それならば私は、1日1500の産屋を建てよう」とイザナギは言い返している。
◆その後、イザナギが黄泉国の穢れを落とすために「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(檍原)」で禊(みそぎ)を行なうと様々な神が生まれ、最後にアマテラス(天照大神)・ツクヨミ(月夜見尊月読命)・スサノオ(建素戔嗚尊速)の三貴子が生まれた。イザナギは三貴子にそれぞれ高天原・夜・海原の統治を委任した。
しかし、スサノオが「妣国根之堅州国」へ行きたいと言って泣き止まないためスサノオを追放し、古事記によれば淡海(近江)の多賀(滋賀県犬上郡多賀町)、または淡道(淡路島、淡路市)の多賀に、日本書紀によれば淡道(淡路島、淡路市)の多賀に篭ったとされる。
現在の日本のことを浦安と名付けたと日本書紀に記されている。
◆◆イザナミ
イザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)は、日本神話の女神。伊弉諾神(伊邪那岐命、伊耶那岐命・いざなぎ)の妹であり妻。別名 黄泉津大神、道敷大神。
天地開闢において神世七代の最後にイザナギとともに生まれた。国産み・神産みにおいてイザナギとの間に日本国土を形づくる多数の子をもうける。その中には淡路島・隠岐島からはじめやがて日本列島を生み、更に山・海など森羅万象の神々を生んだ。
火の神軻遇突智(迦具土神・かぐつち)を産んだために陰部に火傷を負って病に臥せのちに亡くなるが、その際にも尿や糞や吐瀉物から神々を生んだ。
なきがらは、『古事記』によれば出雲と伯伎(伯耆)の境の比婆山(現在の島根県安来市伯太町)に、『日本書紀』の一書によれば紀伊の熊野の有馬村(三重県熊野市有馬の花窟神社)に葬られたという。
死後、イザナミは自分に逢いに黄泉国までやってきたイザナギに腐敗した死体(自分)を見られたことに恥をかかされたと大いに怒り、恐怖で逃げるイザナギを追いかける。しかし、黄泉国と葦原中津国(地上)の間の黄泉路において葦原中国とつながっている黄泉比良坂(よもつひらさか)で、イザナミに対してイザナギが大岩で道を塞ぎ会えなくしてしまう。そしてイザナミとイザナギは離縁した。
この後、イザナミは黄泉国の主宰神となり、黄泉津大神、道敷大神と呼ばれるようになった。
◆◇◆イザナギとイザナミの国産み神話
国産み(くにうみ)とは日本の国土創世譚を伝える神話である。
イザナギとイザナミの二柱の神は天の橋にたち矛で混沌をかき混ぜ島をつくる。
そして、『古事記』などではその後2神で島を産んだのである。
『古事記』によれば、大八島は次のように生まれた。
伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二柱の神は、別天津神(ことあまつがみ)たちに漂っていた大地を完成させるよう命じられる。別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与えた。
伊邪那岐・伊邪那美は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜる。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となった。
◆天瓊を以て滄海を探るの図 右がイザナギ、左がイザナミ
二人は天の橋に立っており、矛で混沌をかき混ぜて島(日本)を作っているところ (小林永濯・画、明治時代)
二神は淤能碁呂島に降り、結婚する。
『古事記』から引用すると、
伊邪那岐 「汝身者如何成也」「汝(いまし)が身(み)はいかに成れる」
伊邪那美 「妾身層層鑄成 然未成處有一處在」「わが身はなりなりて成り合はざる処一処あり」
伊邪那岐 「吾身亦層層鑄也 尚有凸餘處一 故以此吾身之餘處 刺塞汝身之未成處 為完美態而生國土 奈何」
「わが身はなりなりて成り余れる処一処あり。故(かれ)このわが身の成り余れる処を以て、汝が身の成り合はざる処を刺し塞ぎて、国土(くに)を生み成さんと以為(おも)ふ。生むこといかん。」
こうして、二神は性交する。しかし、女性である伊邪那美の方から男性の伊邪那岐を誘ったために、ちゃんとした子供が生まれなかった。このため、二神は、最初に産まれた子供である水蛭子(ひるこ)を葦舟に乗せて流してしまった。次にアハシマが産まれた。水蛭子とアハシマは、伊邪那岐・伊邪那美の子供の内に数えない。
二神は別天津神のもとに赴き、なぜちゃんとした子供が生まれないのかを聞いた。
すると、占いによって、女から誘うのがよくなかったとされた。
そのため、二神は淤能碁呂島に戻り、今度は男性の伊邪那岐から誘って再び性交する。
◆◆島産み
ここからこの二神は、大八島を構成する島々を生み出していった。産んだ島を順に記すと下のとおり。
1.淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま):淡路島
2.伊予之二名島(いよのふたなのしま):四国 胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は以下の通り。 愛比売(えひめ):伊予国
飯依比古(いひよりひこ):讃岐国
大宜都比売(おほげつひめ):阿波国(後に食物神としても登場する)
建依別(たけよりわけ):土佐国
3.隠伎之三子島(おきのみつごのしま):隠岐島 別名は天之忍許呂別(あめのおしころわけ)
4.筑紫島(つくしのしま):九州 胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は以下の通り。 白日別(しらひわけ):筑紫国
豊日別(とよひわけ):豊国
建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよじひねわけ):肥国
建日別(たけひわけ):熊曽国
5.伊伎島(いきのしま):壱岐島 別名は天比登都柱(あめひとつばしら)
6.津島(つしま):対馬 別名は天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)
7.佐度島(さどのしま):佐渡島
8.大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま):本州 別名は天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)
以上の八島が最初に生成されたため、日本を大八島国(おおやしまのくに)という。
◆◆熊野速玉大社の拝殿
正面には第一殿(結宮)と第二殿(速玉宮)があり、主祭神の速玉大神(イザナギノミコト)・夫須美大神(イザナミのミコト)の夫婦神が祀られている。
速玉大神の本地仏は薬師如来、夫須美大神は千手観音とされる。
▼拝殿の大きな注連縄
▼拝殿で参拝
◆◆熊野速玉大社の上三殿
家津御子大神 (ケツミコノオオカミ)=(スサノオ)を祀る證誠殿、天照皇大神を祀る若宮、高倉下命(タカクラジノミコト)を祀る神倉宮の相殿で上三殿という。
◆【高倉下命(タカクラジノミコト)】
『古事記』、『日本書紀』によれば、神武天皇とその軍は東征中、熊野で悪神の毒気により倒れた。しかし、高倉下が剣をもたらすと覚醒したという。
高倉下がこの剣を入手した経緯は次のようなものである。
高倉下の夢の中で、天照大神と高木神が、葦原中国が騒がしいので建御雷神を遣わそうとしたところ、建御雷神は「自分がいかなくとも、国を平定した剣があるのでそれを降せばよい」と述べ、高倉下に「この剣を高倉下の倉に落とし入れることにしよう。お前は朝目覚めたら、天つ神の御子に献上しろ」と言った。
そこで高倉下が目覚めて倉を調べたところ、はたして本当に倉の中に剣が置いてあったため、それを神武天皇に献上したのである。この剣は佐士布都神といい、甕布都神とも布都御魂ともいい、石上神宮(いそのかみじんぐう)に祀られている。
第一殿の結宮、第二殿の速玉宮、第三殿の証誠殿、第四殿の若宮、神倉宮を合わせて上四社という
▼上三殿の鈴門
▼證誠殿
▼天照皇大神を祀る若宮
▼神倉宮
▼上三殿
◆◆熊野速玉大社の八社殿(中四社・下四社)
禅地宮(天忍穂耳尊)、聖宮(瓊々杵尊)、児宮(彦火々出見尊)、子守宮(鸕鶿草葺不合命)の中四社、一万宮(国狭槌尊)、十万宮(豊斟渟尊)、勧請宮(泥土煮尊)、飛行宮(大斗道尊)、米持宮(面足尊)の下四社を合わせ八社殿という。
▼中四社
▼下四社
▼八社殿
◆新宮神社と熊野恵比寿神社(境内社)
▼新宮神社・・・・新宮町内の末社の神々を合祀
▼新宮神社
▼熊野恵比寿神社・・・・蛭児大神(水蛭子ひるこ)を祀っている。
▼速玉大社境内