【祐徳稲荷神社】 参道から楼門、そして境内へ
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休みを利用して、日本三大稲荷の1つ佐賀・鹿島の祐徳稲荷神社へ

◆◆【祐徳稲荷神社】
祐徳稲荷神社は伏見稲荷大社などとともに日本三大稲荷の一つに数えられる。
年間300万人の参詣者が訪れる。これは九州の神社では太宰府天満宮に次ぐ参拝客数である。
衣食住、生活全般の守護神として、商売繁盛、家運繁栄などで尊崇されている。
貞享4年(1687年)肥前鹿島藩主鍋島直朝公の夫人花山院萬子媛が、朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請された稲荷神社で、京都の伏見稲荷、茨城の笠間稲荷と並ぶ日本三大稲荷のひとつとされ、建物は総漆塗り極彩色は壮観で「鎮西日光」とも称されている。外苑には斉藤茂吉の歌碑等もある。
▼神橋

▼神橋を歩き、錦波川を渡る。





▼稲荷神社のきつね

【稲荷神と狐】
狐は古来より日本人にとって神聖視されてきており、早くも和銅4年(711年)には最初の稲荷神が文献に登場する。宇迦之御魂神の別名に御饌津神(みけつのかみ)があるが、狐の古名は「けつ」で、そこから「みけつのかみ」に「三狐神」と当て字したのが発端と考えられ、やがて狐は稲荷神の使い、あるいは眷属(けんぞく、神に代わって神の意志を伝えるなどする)に収まった。
時代が下ると、稲荷狐には朝廷に出入りすることができる「命婦」の格が授けられたことから、これが命婦神(みょうぶがみ)と呼ばれて上下社に祀られるようにもなった。
江戸時代に入って稲荷が商売の神と公認され、大衆の人気を集めるようになると、稲荷狐は稲荷神という誤解が一般に広がった。またこの頃から稲荷神社の数が急激に増え、流行神(はやりがみ)と呼ばれる時もあった。また仏教の荼枳尼天は、日本では狐に乗ると考えられ、稲荷神と習合されるようになった。今日稲荷神社に祀られている狐の多くは白狐(びゃっこ)である。
稲荷神社の前には狛犬の代わりに宝玉をくわえた狐の像が置かれることが多い。他の祭神とは違い稲荷神には神酒・赤飯の他に稲荷寿司や稲荷寿司に使用される油揚げが供えられ、ここから油揚げを使った料理を「稲荷」とも呼ぶようになった。ただし狐は肉食であり、実際には油揚げが好物なわけではない。
◆手水舎



◆太鼓橋と神池




◆祐徳稲荷神社・楼門






◆◆祐徳稲荷神社・境内
▼本殿

▼岩崎社と本殿


▼神楽殿①
総漆塗極彩色の社殿。一般参拝者の諸祈願はここで行われる。
昭和41年新築されたもので鉄筋コンクリート建

▼神楽殿②

▼神楽殿③




















