【綱分八幡宮】 神功皇后が天神地祇に「三振の宝剣」を祀る
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▼綱分八幡宮・拝殿
≪御祭神≫ 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
【綱分八幡宮由緒】
往古 神功皇后、新羅より帰らせ給い、その年12月14日、粕屋郡蚊田(現、宇美)村にて誉田皇子(応神天皇)を生まし給ふ。
明年辛巳歳春2月京に帰り上らせ給わんとて、皇子をたずさえ蚊田村より大口の峠を越させ給い、穂波郡に出させ給う。それより嘉麻郡にうつらせ給い、金石山の麓金丸村(現綱分)の清地に御輿をとどめさせ給ひ、皇后勅曰く、「吾この度三韓を隨え筑紫をおさむ、猶又婦女のただならぬ、身につつがなく皇子やすらかに生させ給う事偏に神の力なり。然れば此所に於て天神地祇(てんしん-ちぎ)を祭り報賽の幣帛を奉らん。」と武内宿禰に命じて神祇を祭らせ給う。この時神霊となりし三振の宝剣その他種々の神宝又蚊田村にて、安産のまじないなればとて、槐(えんじゅ)の枝にかけ給ひし御産の綱を分て、この斎場に納めさせ給う(よって綱分の号ここに起こる)。
かくて皇后群郷及百寮をひきいて京に帰り上らせ給う。それより御代々を経ぎ人皇45代聖武天皇神亀年中に至りて、郷人いにしへよりの伝説にもとずき八幡宮を祝い奉らんと宮所を定め、その地を改めしに三つの瓶を掘らせり。内に三振の宝剣(皇后神祇を祭らせ給いし時神霊となりし宝剣)あり、則八幡宮三所(応神天皇・仲哀天皇・神功皇后)の御神体として、初めて祝い祭り奉る綱分八幡宮是なり。
◆天神地祇(てんしん-ちぎ)‥‥‥天つ神と国つ神。天地の神々の意
◆報賽と幣帛
「報賽(ほうさい)」とは祈願が成就したお礼に神仏に参拝すること。
「幣帛(へいはく)」とは祭祀において神々に対する報賽や祈願などのために奉られるもの。
「幣」「帛」が共に布にちなむ意味を持つことから、古くより絹や麻、木綿(ゆふ)などの布帛を柳筥(やないばこ)に納めてお供えをした。
◆石上神宮の有名な「三振の宝剣」
奈良県に鎮座する石上神宮(いそのかみ神宮)は武門の棟梁たる物部氏の総氏神で、その「三振の宝剣」は、それぞれ布都御魂(ふつのみたま)、布留御魂(ふるのみたま)、布都斯魂(ふつしみたま)と呼ばれる3つの宝剣である。
三振目の布都斯魂は、スサノオが八岐大蛇を退治したときの十握剣(とつかのつるぎ)という。
◆槐(えんじゅ)
マメ科の落葉高木。葉は羽状複葉で、小葉は長卵形。夏に、黄白色の小花が群生して咲き、くびれたさやのある実がなる。中国の原産。
綱分八幡宮の創建は神亀2年(725)と伝えられ、筥崎八幡宮や大分八幡宮と並ぶ由緒ある神社で、隔年毎秋に行われる放生会御神幸祭は県無形民俗文化財に指定されている。
▼「縣社綱分八幡宮」「郷社綱分八幡宮」の二基の社号標と一の鳥居
▼一の鳥居 すぐ奥に注連柱と二の鳥居
▼注連柱と二の鳥居
▼二の鳥居
▼阿形の狛犬
▼吽形の狛犬
◆◇◆鎮守の杜の丘の下の広い境内
灯籠が建つ参道を進むと、広場のような下の境内があり、右手には御旅所らしき祭壇、突き当たりの石段の上には忠魂碑や軍人祈念碑が立てられている。広場の左手の中央にご神木があり、その隣に大きな鎮守の杜の丘の上の境内へと上がる石段参道がある。
▼ご神木
▼ご神木と三の鳥居と石段の参道
▼三の鳥居と石段の参道
▼石段の参道正面
◆◆石段の参道
▼阿形の狛犬
▼吽形の狛犬・・・吽の前脚下に玉がある。
▼三の鳥居と石段の参道
▼石段上の境内入口に立つ注連柱
▼石段上から眺めた参道下の風景
◆◇◆石段上の鎮守の杜の丘の境内
▼丘の境内の社叢①
▼丘の境内の社叢②
▼丘の境内の社叢③
◆手水舎
◆◇◆綱分八幡宮・拝殿
≪御祭神≫ 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
▼綱分八幡宮・拝殿①
▼綱分八幡宮・拝殿②
▼綱分八幡宮・拝殿③
▼綱分八幡宮・拝殿④
▼綱分八幡宮・拝殿内部
綱分八幡宮の神紋は、香椎宮、筥崎宮、宇佐神宮、住吉神社(福岡)、志賀島神社、志式神社と同じ「左三つ巴」
「右三つ巴」は、忌宮神社と宇美八幡宮と綿津見神社と織幡神社
◆◆綱分八幡宮・御本殿
≪御祭神≫ 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
▼綱分八幡宮・御本殿①
▼綱分八幡宮・御本殿②
▼綱分八幡宮・御本殿③
◆遥拝所
▼遥拝所付近からの眺望
◆境内社:若宮、貴船社
◆境内社:天満宮、須賀宮
◆◆丘の下の広い境内へ下りる。
突き当たりの石段の上には忠魂碑や軍人祈念碑が立てられている。
▼軍人祈念碑と石段
▼丘の上の忠魂碑
◆綱分八幡宮の風景