【老松神社】 オオクニヌシとスクナビコナが逗留した地
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▼老松神社
老松神社といえば、地禄神社、宝満神社とともに、福岡の地の各地に見られる神社であるが、老松神社がある場所はかつてオオクニヌシとスクナビコナが諸国巡回の折に逗留した地であるといわれるらしい。
飯塚周辺にも老松神社が多いが、これは神仏習合の時代に大宰府天満宮の別当寺だった安楽寺の寺領が各地にあり、その場所に老松神社が祀られることが多かったからのようだ。
この阿恵の老松神社は筑豊本線・上穂波駅の東約150mに鎮座している。
【スクナビコナ】
スクナビコナ(スクナヒコナとも。表記は少名毘古那、須久那美迦微、少彦名、少日子根など。)は、日本神話における神。
『古事記』では神皇産霊神(かみむすびのかみ)の子とされ、『日本書紀』では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされる。
大国主の国造りに際し、波の彼方より天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)(=ガガイモの実とされる)に乗って来訪した。 『古事記』によれば、大国主の国土造成に際し、天乃羅摩船に乗って波間より来訪し、オホナムチ(大己貴)大神の命によって国造りに参加した。『日本書紀』にも同様の記述があるが、『記』・『紀』以外では『上記(ウエツフミ)』にも登場している。 オホナムチ同様多くの山や丘の造物者であり、命名神である。悪童的な性格を有するとも記述される(『日本書紀』八段一書六)。のちに常世国へと渡り去る。
スクナビコナは国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ。 酒造に関しては、酒は古来薬の1つとされ、この神が酒造りの技術も広めた事と、神功皇后が角鹿(敦賀)より還った応神天皇を迎えた時の歌にも「少名御神」の名で登場する為、酒造の神であるといえる。
◆飯塚・穂波川周辺の風景
▼穂波の田園風景
◆老松神社◆
◆◇◆鳥居と参道
◆一の鳥居
▼一の鳥居と二の鳥居
▼一の鳥居の「老松大明神」の扁額
▼参道脇の玉を銜えた阿形の狛犬
▼参道脇の吽形の狛犬
◆二の鳥居
▼二の鳥居の「老松神社」の扁額
▼二の鳥居と境内
▼灯篭と参道
◆◆猿田彦大神
【猿田彦大神】
邇邇芸尊(ニニギノミコト)が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。その神の鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿であった。そこで天照大神と高木神は天宇受売命(アメノウズメ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸尊らの先導をしようと迎えに来たのであった。
邇邇芸尊らが無事に葦原中国に着くと、邇邇芸尊は天宇受売神(アメノウズメ)に、その名を明らかにしたのだから、猿田彦を送り届けて、その名前をつけて仕えるようにと言った(『日本書紀』では、猿田彦が天鈿女命(アメノウズメ)に自分を送り届けるように頼んだとなっている)。そこで天宇受売神は「猿女君」と呼ばれるようになったという。猿田彦は故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ帰った。
猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。旧一志郡阿坂村、現松阪市)の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死ぬ。この際、海に沈んでいる時に「底どく御魂」、猿田彦が吐いた息の泡が昇る時に「つぶたつ御魂」、泡が水面で弾ける時に「あわさく御魂」という三柱の神が生まれた。
『倭姫命世記』(神道五部書の一つ)によれば、倭姫命が天照大神を祀るのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされている。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、代々伊勢神宮の玉串大内人に任じられた。
◆猿田彦(サルタヒコ)と天鈿女命(アメノウズメ)
宮崎県の高千穂町の荒立神社の社伝に因れば、猿田彦命の先導で当地に天孫降臨が行われ、猿田彦命は当地で降臨に供奉した天鈿女命と結婚して当地に住む事となった。しかし、この結婚が急であったために切り出したばかりの荒木で宮居を建てなければならないとの言い伝えが残った。後世この2柱を祀る神社を創祀する際にその故事に因んで社殿を白木造とした事から「荒建宮」と称したと伝える。「立」字は「建」を変えたもの。なお、猿田彦命は縄文人で天鈿女命は渡来人である弥生人であり、この2柱の婚姻を国際結婚と見る説もある。
▼猿田彦大神の碑①
▼猿田彦大神の碑②
◆天神様のお使い・臥牛の像
【菅原道真(天神様)と牛との関係】
菅原道真と牛との関係は深く・・・
「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在する。
これにより牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれている。
◆◇◆老松神社・拝殿
▼老松神社・拝殿①
▼老松神社・拝殿②
▼拝殿の神額
▼老松神社・拝殿③
▼老松神社・拝殿④
▼老松神社・拝殿⑤
◆◆老松神社・本殿
▼老松神社・本殿①
▼老松神社・本殿②
▼老松神社・本殿③
▼本殿の彫刻①
▼本殿の彫刻②
◆◆神木