【霧島岑神社】 天孫降臨からの日向三代の神々と妃神を祀る
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2014年3月23日参拝
◆「天孫族・追憶の旅」第二弾。(3月22日~24日)
①霧島神宮・古宮址(霧島市高千穂河原) ②霧島東神社 ③狭野神社
④霧島岑神社 ⑤東霧島神社 ⑥鵜戸神宮 ⑦潮嶽神社 ⑧青島神社
⑨立盤神社と美々津の海 ⑩都農神社 ⑪都萬神社 ⑫鹿野田神社
⑬宮崎神宮 ⑭宮崎縣・護国神社 ⑮江田神社と禊の御池
▼霧島岑神社・参道
◆霧島岑神社は宮崎自動車道・霧島SAのすぐ東に鎮座している。104号線沿いの入口には立派な燈籠と大きな両部鳥居が建立され、参道奥には豊かな鎮守の杜が見えている。
杜の入口には享保元年(1716)建立の仁王像が立ち、参道を歩くと宮崎の巨樹百選に選ばれたご神木・樹齢400年のイチイガシが聳えている。覆い被さる木々の中、苔むした石段が続き、、二の鳥居を潜ると森閑とした境内が目に入ってくる。
▼霧島岑神社の位置
【祭神】
<日向三代の神と妃神>
瓊々杵尊(ニニギノミコト)・木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)
彦穂々出見尊(ヒコホホデミノミコト)・豊玉姫命(トヨタマヒメ)
鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)・玉依姫命(タマヨリヒメ)
【由緒】
創建年代は不明であるが、天孫降臨から日向三代に関わりの深い神社とされている。社伝によると、承和4年(837年)8月従五位上を授けられたと『続日本後紀』に記載されている「霧島岑神」が当社であるといわれる。『日本三代実録』には、天安2年(858年)従四位下に叙せられている。また、『延喜式神名帳』記載の「霧嶋神社」を当社に比定する説がある(式内社論社)。
神仏習合の時代には、参道途中の別当寺である瀬多尾寺に大日如来が据えられ、霧島中央権現宮とも言われるようになった。その後霧島六社権現の中心として信仰を集め、霧島信仰が隆盛期を迎える。
当初は高千穂峰と火常峰(ひのとこみね、御鉢の旧名)の中間地点「背門丘」(せとお)にあったが、霧島連山の噴火により社殿がたびたび焼失し、文暦元年(1234年)に天の井が渇水したことから麓に遷座することとなった。しかし、享保元年(1716年)に新燃岳が噴火し社殿が再び焼失、同10年(1725年)に夷守岳(ひなもりだけ)の筑地に遷座した。明治6年(1873年)に同じく霧島六社権現に数えられていた夷守神社を合祀した後、夷守神社跡地に遷座し現在に至る。
古来より島津氏をはじめ、伊東氏・北原氏等この地を領した諸氏の崇敬篤く、江戸時代においては藩主・島津氏の手厚い保護を受けるなど名社として栄えた。
明治5年(1872)県社に列せられ、翌6年細野村に合祀の世論起り夷守神社を先ず本社の岑神社に合祀した上で、同7年旧夷守神社の跡地(現在地)に霧島岑神社を奉遷して今日に至っている。
【霧島六社権現】
霧島には霧島山を囲むようにして霧島六社権現と総称される一連の神社がある。
霧島神宮、東霧島神社、狭野神社、霧島東神社、霧島岑神社、夷守神社(霧島岑神社へ合祀)
◆◇◆霧島岑神社・社頭・・・一の両部鳥居と参道
▼両部鳥居
▼一の鳥居と参道
▼宮崎の巨樹百選のイチイガシと参道
▼手水舎
◆仁王像 300年前の享保元年(1716)建立で歴史を感じる。
狛犬ではなく仁王像が立っているのは珍しい。
▼左の仁王像
▼右の仁王像
◆◆宮崎の巨樹百選に選ばれたご神木・樹齢400年のイチイガシ
樹齢400年、幹周5.9m、樹高38m、宮崎の巨樹百選のご神木イチイガシ
▼ご神木・樹齢400年のイチイガシ①
▼ご神木・樹齢400年のイチイガシ②
▼ご神木・樹齢400年のイチイガシ③
◆石段参道
木漏れ陽の石段参道をぽれぽれと登っていく・・・
▼石段参道と二の鳥居
▼石段参道
▼霧島岑神社の二の鳥居
◆霧島岑神社・境内
▼境内の手水舎
▼木々の間から眺めた拝殿
◆◇◆霧島岑神社・拝殿
【御祭神】
<日向三代の神と妃神を祀る>
瓊々杵尊(ニニギノミコト)・木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)
彦穂々出見尊(ヒコホホデミノミコト)・豊玉姫命(トヨタマヒメ)
鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)・玉依姫命(タマヨリヒメ)
▼霧島岑神社・拝殿
▼霧島岑神社・拝殿内部と本殿の龍の彫刻柱
▼霧島岑神社・本殿内部
◆◇◆霧島岑神社・本殿
▼霧島岑神社・本殿①
▼霧島岑神社・本殿②
▼霧島岑神社・本殿③
◆境内社
▼境内左手に祀られる大きな境内社
▼境内社:繭神社
◆霧島岑神社・社叢