【世界遺産】 ダンブッラの黄金寺院
|
2014年7月20日(日)<スリランカ紀行> 5日目
◆今日はスリランカ最大の石窟寺院である世界遺産のダンブッラの黄金寺院を観光する。
その後スパイスガーデンを見学し、キャンディへ。
キャンディでは仏歯寺などの世界遺産の古都キャンディを観光し、夕方は「キャンディアン・ダンス」を鑑賞。
夕食のあと2時間の「アーユルヴェーダ」のトリートメント・マッサージの予定。
ホテルも世界遺産のクイーンズ・ホテル。
▼今日のシギリヤ→ダンブッラ→キャンディのルート

▼さらば、シギリヤ・ロック

◆◇◆聖ダンブッラの黄金寺院
ダンブッラの黄金寺院とは、1991年にUNESCOの世界遺産に登録された石窟寺院である。コロンボの148キロメートル東方、キャンディの72キロメートル北方に位置する。スリランカにおいて、最も保存状態がよい石窟寺院として知られている。黄金寺院の周辺には、確認されているだけで80以上の洞窟がある。
▼これはダンブッラの黄金キンピカ「博物館」で、石窟寺院ではないのですよ~。

黄金寺院において重要な寺院は5つであり、そのそれぞれに聖像や絵画がある。これらの聖像や絵画は、釈迦とその生涯に関連したものである。153の釈迦像、3つのスリランカ王の像、4つのヒンドゥー教の神像が祀られている。壁画の面積は2,100平方メートルに達し、絵画には、釈迦が最初に説教を行ったマーラへの説教も含まれている。
▼ダンブッラの黄金キンピカ「博物館」

ダンブッラの黄金寺院の歴史は紀元前3世紀にまで遡る。その当時から、ダンブッラの黄金寺院は、最大規模でかつ最も重要な僧院として機能していた。僧院を寺院へとして転換したのは紀元前1世紀の王ワッタガーマニー・アバヤ(シンハラ朝第19代国王、在位紀元前89年から紀元前77年)である。彼は、タミル人の手によって、アヌラーダプラから追放されたが、ダンブッラで保護され、15年後には、再び、アヌラーダプラに帰還した。その感謝の念を持って、僧院は寺院へと発展を遂げた。
▼この金色のお釈迦様の印相は、説法印(転法輪印)。

その後も、ダンブッラの寺院には多くの増築が施された。その結果として、ダンブッラの黄金寺院は、スリランカを代表する仏教寺院へと発展を遂げることとなった。ポロンナルワの王統で最後の王であるニッサンカ・マッラ(en、在位1187年-1196年)は、寺院を金箔で飾り、また、1190年には、70対の仏像を寺院に納めている。
▼ダンブッラの黄金キンピカ「博物館」

◆岩山の中腹へ・・・
石窟寺院は高さ約180mの岩山の中腹にあるので、キンピカ「博物館」の横の坂道をぽれぽれと登っていくのであった。急な岩山を登ること15分で石窟寺院到着。
この岩山の名はランギリ Ran Giri 「黄金色に輝く」の意。

▼中央の建物に向かって進む、修行僧の人形の列。

▼世界遺産の標識。『ダンブッラの黄金寺院』が登録されたのは1991年
『ダンブッラの黄金寺院』への路は、左手の坂道を登ることになる。

▼長いなだらかなスロープをぽれぽれと・・・

▼休憩しながら、風景も眺める


▼トクモンキー

▼トクモンキーの親子

▼石窟寺院付近の岩山

▼蓮の池

▼蓮の花

▼石窟寺院と菩提樹

▼ダンブッラの石窟寺院に到着

▼高さ180mの岩山の中腹にある「ダンブッラの石窟寺院」
手前から奥に順に5つの石窟が並んでいる。回廊は最近になって保護のために造られたもので、オーバーハングした岩肌には雨が石窟内に入らないよう段差がつけられている。

◆第1窟
デーワ・ラージャ・ヴィハーラ Dava Raja Vihara(神々の王の寺)
第1窟は、"Devaraja lena"とも呼ばれる「聖王の石窟」である。第1窟には約14mもの長さの釈迦の「涅槃像」の石像が安置されている。壁画は何度も修復作業が施され、最新の修復作業は20世紀に行われている。釈迦像の足元には釈迦のお気に入りの弟子であるアーナンダ像、釈迦像の頭部のそばには、ヴィシュヌ像が施されている。
▼巨大な涅槃像。長さは14メートルもある。

▼ふくよかなお顔ですね。

▼右と左の足が若干ずれて重ねられているので入滅後の涅槃の像を表している。

▼涅槃仏の全身は黄金色だが足の裏は赤く、花の模様が描かれている。 足の裏が赤く塗られているが、これは.仏陀が入滅した紀元前5世紀にシンハラ王朝のウィジャヤ王がインドから到着しスリランカに上陸した際、足の裏に赤土が付いていた色から来ているという説やウィジャヤ王がインドから到着した際に手のひらが真っ赤であったという説がある。

▼大きな仏さまの足と弟子のアーナンダの像

▼弟子のアーナンダの像




◆第2窟
マハー・ラージャ・ヴィハーラ Maha Raja Vihara(偉大な王の寺)
第2窟は、別名「マハラジャの石窟」とも呼ばれ、黄金寺院の規模では最大規模の石窟であり、ヒンドゥーの神であるサーマン、ヴィシュヌの心臓のほかに、16体の釈迦の立像と40の釈迦の坐像が安置されている。これらの聖像には、巡礼者がしばしば装飾を施してきたが、最終的には、紀元前1世紀の王ワッタガーマニー・アバヤと12世紀の王であるニッサンカ・マッラが施した装飾が残っている。
第2窟内には泉が湧いており、この泉の水には病気を治す効力があると信じられている。
また、第2窟には、面積2,100平方メートルに及ぶ天井画が施されており、釈迦によるマーラへの説法やスリランカの歴史に関係のある内容が描かれている。
▼この第2窟寺院の創始者であり、偉大な王と呼ばれるドゥッタガーマニーの像。 (アヌラーダプラのワンウェリ・サーヤ大塔を創建した王でもある。)

▼びっしりと描かれた天井画





















▼天井から水が湧き出し、甕にしたたり落ちているが、水の量は増えも減りもしない不思議な聖水。
ダンブッラは「水の湧き出る岩」という意味で、この聖水が由来となっている。








◆第3窟
マハー・アルト・ヴィハーラ Maha Altu Vihara (偉大な新しい寺)
▼第3窟の入口の像

第3窟は、「新僧院」とも呼ばれる石窟寺院であり、キャンディ王国時代に描かれた天井画と壁画が残る。全長9mの寝仏と50以上の仏像と1体の王の像が安置されている。

▼全長9mの寝仏をはじめ、57体の仏像が安置されている。










▼キャンディ王宮時代の最後の王の像。
最後のキャンディ(=シンハラ王朝)の王、スリー・ウィクラマ・ラジャシンハ王(Sri Wickrama Rajasinha)の像。王冠を被り、合掌の姿勢。



◆第4窟 「パッツィーマ・ヴィハーラ」(3人の王の寺)
第4窟は、かつて西洋の女性観光客が仏像の手の上に座って記念写真を撮ったため、仏像の持つ法力が失われたため、何度もその部分を洗浄し、塗装もし直したということで有名らしい。
スリランカでは仏像に背を向け一緒に写真撮影することすら禁止されている。
▼黄色の座像が塗装がし直しされた仏像






▼第4窟の天井画

◆第5窟
「テワナ・アルト・ヴィハーラ」
1915年に造られた非常に新しい石窟。



◆◆最後にダンブッラの石窟寺院の外の風景を












さよなら、ダンブッラ・・・















