パルミラ遺跡 Palmyra (3)
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■3世紀になると、ササン朝ペルシャが東方諸国を押さえ、ローマ帝国と戦いを繰り広げていた。パルミラの軍隊はササン朝ペルシャを追撃してローマ帝国を支えていた。
しかし、3世紀後半、パルミラとローマ帝国との友好関係が崩れはじめる。パルミラでは美貌と教養に恵まれた女王ゼノビアが実権を握ったが、政治的野心も強く、ローマ帝国からの自立を企てる。
女王ゼノビアは、5年余りのうちにローマ帝国の支配下にあったシリア、エジプト、アナトリアの大部分を占領した。これに対して、ローマ帝国は東方領土を奪い返すために遠征軍を派遣し、273年、ついにパルミラは壊滅する。
それでも、隊商都市としてパルミラは存続していたが、アラビア海を渡る交易航路が開かれると次第に衰退していき、パルミラの栄光は砂漠に埋もれていくことになった。
▼ハドリアヌス記念門

















